日本の「縄文文化」はすごかった!?
最近、世界遺産登録をされた南北海道・北東北の縄文・弥生遺跡群ですが、登録直前に青森市の三内丸山遺跡に行く機会がありました。もともと、古代や先史時代など古い文化・文明が好きではあるのですが、そこで見た「縄文」ははるかに想像を超えたものでした。
この遺跡群、いっぱいあってとても地元民でないと回れなさそうなのですが、特に三内丸山遺跡に特徴的なのは、人が長期定住していたらしいということです(紀元前約3900年から2200年)。通常、「定住」は「農耕」とセットになっており、ご存じの通り日本での農耕は弥生時代、稲作として始まっています。ところが、三内丸山遺跡では、狩猟・漁労・採集文化の段階であるにも関わらず、かなりの人数の人々が千年以上もの年月を超え定住していたという、世界でもレアな場所だったようです。
実際、三内丸山遺跡は屋内展示と屋外展示に分かれていますが、屋外を歩いてみるとゆるゆるとした丘がつづいていてなんだか気持ちのいい場所です。長く住みたくなるのも分かります。また、海も近く、丸太を組んだ高い建物(大型掘立柱建物)からは海も見えるということで、「物見櫓」だったという説もあるようです(写真)。
物見櫓や、広い集会場のような建物(大型竪穴住居)もあり、単に多くの家族が集落を形成して暮らしていたというよりはもっと組織だった、社会的なものが運営されていたふしもあります。少なくとも、「ムラ」だったのかもしれません。当然、お墓もありますが大人の墓と子どもの墓が分かれています。子どもは、すぐ戻ってこれるようにということでしょうか、特殊な埋葬の仕方をしたらしいです。
縄文時代なので、当然特徴的な縄目のついた土器がいっぱい出土しています。多すぎて、特に割れてしまっているものはまだ職員さんが必死で破片パズルをつづけているようで、そうした箱が何千とあるらしいのです。まさに気の遠くなるような話です。縄文も、末期になるとだいぶ装飾的になり(火焔式土器など)、だいぶ見応えがあります。
それよりさらに驚くのは、漆器があったこと。今もですが、漆は水をはじくし漆をかけておけば器が長持ちします。ツヤが出て美的でもあります。さまざまな出土品から、この頃の人たちが当時の文明・技術の範囲内ではあれ美意識を強く持っていたことが分かります。
見られてラッキーだったのは「縄文ポシェット」(期間展示らしいです)。これは、編み上げた小さな籠(ゆえに「ポシェット」と通称呼ばれている)で、やはり漆掛けがしてあります。こんなに精密で繊細なものを作ったんだ、という感じです。やはり縄文時代から日本人、手先が器用だったのでしょうか??
・・・というようなところが三内丸山遺跡でした。三内丸山遺跡は青森市内にあって、JR、空港からもアクセスがいいかと思うので、青森方面に出かけられた際にはおすすめです! あと最近は北海道新幹線が開通したため、北海道方面(函館周辺)と青森県を組み合わせたコースも流行っているようです。まだまだ奥深い、日本文化でした。
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