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短編小説【ウミヘビの酒場】著者:椿

短編小説【ウミヘビの酒場】著者:椿



 とある島国の沖から二キロ南西。そこから、ずーっと下の方に行った所にウミヘビが経営するバーがある。
 そのバーを取り囲むようにウツボやタコの住処となった沈没船があちらこちらに鎮座しており不気味さを醸し出していた。おまけに人間共のゴミまでもがそこらを彷徨っていて。正直、お世辞にも良い立地とは言えないものだった。
 だが、店主のウミヘビはなかなかの名酒ばかりを扱うものだから、たまたま立ち寄った酒呑み達を魅了したのだ。当然、クチコミによってその情報は拡散された。おかげで、可もなく不可もなく今日(こんにち)までやってこれていたわけである。
 その海の住人(ノンベエ)の間で知る人ぞ知る名店の店内は、落ち着いた漆塗りされたカウンターテーブルとピカピカに磨き上げられたグラス。青い照明と酒が陳列された棚には名酒ばかりが立ち並ぶ。当然、床にチリひとつ見当たらない。
 今日の客は珍しく一匹だけだった。しかも、いつもの常連ではなく全くの初来店の客(亀)だった。亀はよれよれの紺の袴とフレームが歪んだメガネ。顔には幾重にもシワが刻み込まれており、相当に貧乏なご老人であることが伺える。
(きっと、ボケてこんなところに来ちまったに違いない。金(ゼニ)もあまり期待できないな)
 などと失礼なことをウミヘビが思っていると高齢の亀はカウンター席の真ん中にでんっと座った。カウンターの長テーブル同様の黒シートの椅子に深く腰掛け、じーっとウミヘビを睨みつけるように見つめた。
 年齢にしてはふてぶてしい態度に、なんとなくむっとするものが身体の内側を駆け回ったが、一瞬でそれを押さえ込んだ。
「ご注文はいかがしましょうか?」
 表情は柔和な笑顔。声色は低くて落ち着いた甘い声音。これぞ完璧な営業スマイルだと自画自賛したいものであったが、亀は何か注文を言いつけることもなく、また、不遜な態度を崩すことはなかった。
「お客様、ご注文はいかがしましょうか?」
 ウミヘビもプロであった為に、先と遜色ない笑顔の接客を続けた。
「……ドンペリをくれ」
 やっと口を開いたと思えば、ドンペリときた。ウミヘビも聞き間違いかと思った。なにせ、ドンペリほどの高価な酒をこの身なりの老亀が支払えるわけがないと決めつけていたからだ。
「ドンペリ、でお間違いないですか? 少々お値段が張りますが……?」
 同様に色を曇らせ、失礼を承知で聞き返した。
「ドンペリでいい。ドンペリの水割りとか、ケチくさいことも言わん。ドンペリのドンペリ割りをくれ」
 それって、何も割り切れないタダのドンペリだよね? ドンペリにドンペリを足せってことなの? と、思わず口に出してしまいそうになったツッコミを喉の寸の所で飲み込み、代わりに「承知しました」と頷いた。
 
 それからも他に客が来ることはなかった。老亀もドンペリ入りのピカピカのグラスをじーっと眺めては、ほんの一口ずつ飲むだけで会話も何もなかった。
 ウミヘビも、本当は代金を払えるのか甚だ疑問であり、金のアテがあるのかを問いただすべきかを悩んだが、それを口にすることはなかった。
 ウミヘビは遠慮深い性格だったので、必要以上に客に絡むことはなかったのだ。いや、臆病なだけかもしれない。ただ、結果的に聞こえるのは穏やかな波の音のBGMぐらいで店内はとても静かなものだった。ふと、
「なぁ、アンタは輪廻転生って奴を信じるか?」
 たまには、客の愚痴や自慢話を聞かない日も悪くはないとも思っていた矢先のことだった。
 先ほどまでだんまりとドンペリとにらめっこしていた老亀がウミヘビに話しかけてきたのだ。
「……どうでしょう。――若輩者の私には死後の世界なんて想像できませんから」
「まあそうだろうよ。老い先が短くなったワシは最近よく思うんじゃ。――アンタのその目と、いかにもツクリモのその表情(かお)には見覚えがある。今でもはっきり覚えている人間にそっくりだ」
 老亀のメガネの奥がキラリと光ったかのようだった。そして彼の瞳の中に、人間の青年が映し出されていた。
 ウミヘビは目を疑って幻覚でも見ているのかと思ったが、次の瞬間には死んだ魚のような気だるげな目があるだけだった。
 不思議に思っていると、先ほどまで無愛想で、黙り込んでいた老亀が語りだした。
「むかし、ワシも若かった頃のことだ。ワシは竜宮の姫に仕える職務に就いておった――」
 
――当時のワシは、外の世界に憧れを抱いておった。なぜって? 仕える姫がそれはそれは真珠のように美しいヒトだったからじゃよ。その姫の出生地に興味を持っても不思議ではないじゃろう。
 海神様のお力で悠久の時を生きるようになってからも姫は、時折海の外を懐かしむような眼(まなこ)をしていた。
 恐れを知らなかった当時のワシは「地上とはどういうところか?」と、姫に聞いたのじゃ。すると姫は、ヒトも動物も自然もキラキラして美しい場所であると、微笑んだ。
 だからワシは、ますます興味を持って、ついに陸にあがった。はじめて太陽の強烈な光を直に浴びたのだ。
 地上は海とは全然違って、身体が重くて思い通りに動かなかった。それでも一歩、また一歩と歩いた。ワシは必死だった。
 じゃが、ソレは誰が見ても滑稽だったんだろうな……。ワシはヒトの童(わらべ)共に見つかり、いじめられたのじゃ。その時のことはあまり覚えておらん。殻にこもって痛みに耐えていただけじゃからな。この時ほど海を出たことを後悔したことはない。
 まあ、絶体絶命のワシを救ったのはウラシマという青年じゃった。今でもはっきり覚えておるよ。あの憎き奴のツラは!
 ……じゃが、当時のワシはヤツに感謝、感激していた。まったくタイムマシンがあれば「勘違いも甚だしい」と言って、張り倒してやりたいわい。
 なにはともあれヤツに恩返しをしたかったワシは竜宮に連れていくことを決意した。姫も懐かしの同胞を連れていけば喜ぶと考えたからじゃ。
 実際、姫は大変喜んでいらっしゃった。しばらく滞在することまで勧めたのには逆に驚かされた。
 しかし、しばらくしてからウラシマの野郎は「帰りたい」とほざきだした。
 待遇が悪かったかと言われると、とんでもない! 毎日、ご馳走が振る舞われていたし。それも宴会芸付きというオマケ付きだ。
 当然、美しい姫はウラシマにゾッコンであったし、窓の外からは澄み切った美しい景色(海)が広がっていて、見ていただけでも癒やしを与えるものであった。
 しかも、姫の与えた秘薬の力で、時間制限付きではあったが自由に水中散歩も出来たのだ。これ以上の贅沢などあろうはずがない。
 ……だが、そうは言っても「帰りたい」と願うだけなら、ワシもここまで怒らん。
 奴は、ワシ等を裏切っていたのだ。
 水中散歩と称して、大事なサンゴ礁の森を傷つけて回っておったのじゃ! 理由を問いただしても野郎は「こうしなければ、多くのヒトが死ぬ」と訳の分からないことの一点張りだった。
 ――竜宮のサンゴを傷つけるのは大罪ですね……。それで、お客様はどうされたのです?
 まあ、いかなる理由があったとしても、海の住人にとって、いや海の神様にとってもサンゴを傷つけるのは許されることではない。
 独断であったが、海神様の名を語って姫を説得し、ウラシマを地上に返すことにした。ここまでは良かった。じゃが、あろうことか姫は竜宮の大秘宝タマテバコをお土産に渡したのだ。
 ワシは、怒りに我を忘れてヤツが立つ前に中身を入れ替えた。今にして思えば、魔が差したんだろうな。
 ――中身を何と入れ替えたのです?
 老化の秘薬だ。本来、これは液体状なのだが、酸素に触れると爆発的に増殖、気化するものでな。タマテバコを開ければ最後、煙にまみれて老化。老死する算段だった。
 ……その後のことは、悲惨だったよ。
 ――なにがあったのです?
 ウラシマはタマテバコを開けて老死したという知らせを聞いたのは間もなくだった。聞いたときは内心舞い上がったよ。じゃが、姫は酷く傷心なされた。不老不死である筈の姫が覚めぬ、眠りにつかれてしまったのじゃ。
 それから悲劇はまだ続いた。海の住民が地上のヒトを殺害したというのが海神様にバレてしまってな。本来、両者間での交流はもちろん、殺傷などあってはならない決まりになっていたのだ。
 ワシは竜宮から追放され、職も帰る家も失った。途方に暮れたよ。
 そういえば、これはワシに直接関係ある不幸ではないが、竜宮周囲域で疫病が流行ったらしい。それと同時に海流の乱れによって何隻もの船が沈んで、竜宮はすっかり『海の墓場』と呼ばれるようになったようじゃ。
 当時、そのことを語ったタコキチの奴は、ウラシマの祟りだ! と青ざめておったが、そうじゃない。姫が眠られて対処できなかっただけだとワシは思っておる。
 何にしても、姫が眠られてしまったのも竜宮の治安が悪くなったのも全部地上のウラシマのせいじゃ! まったく忌々しい。
 アンタ、ドンペリのおかわりを速く注がんかい!
 
                  ***
 
 老亀は、愚痴るだけ愚痴り、さんざん酒を飲み散らかすと眠りについた。
 今日の客はたった一人だったのにも拘らず、ウミヘビは十人以上もの客を同時に接客したかのように疲労した気がしていた。
 黒塗りした立派なテーブルにだらしなく肘を立てて寝息を立てる亀をちらりと見た。
 ボロボロの袴とひしゃげかけているメガネがズレて顔から落ちそうになっていた。
 ウミヘビは立ち上がり、奥の部屋に行くと掛け布団を手に取った。そして、老亀の背中にそっと被せた。
(きっと、この老亀はずっとウラシマさんを暗殺してしまったことを後悔しているに違いない。ここに迷い込んで来たのも、彼の運命なのだろう。――お代というわけではないけれど、コレは頂戴いたしますね)
 ウミヘビは老亀の袴のポケットに忍ばせてあった金目のモノを抜き取り、そっと奥の部屋に消えていった。
 バーに灯っていたほんのり温かみのある光が落とされ、海は音のない闇に染まる。
 ここは海の墓場の中心、かつて竜宮と呼ばれた絶海に立つウミヘビの酒場。



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