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エッセイってなかなか密教的だなと思った話

数日前に、父の死と向き合った4年間のことを書いた。

これを書いたのは21日の午後13時ごろ。太極拳の稽古を終えて、そばの公園の木陰でお弁当を食べて、さて一仕事するかなあと行きつけのカフェに入って、PCを立ち上げた。

頭は作業モードだったのに、なぜだか、その時イヤホンから流れてきた米津玄師の「さよーならまたいつか!」がやけに胸に沁みて、ふと指が滑り出して、気がついてたらあれを書いていた。

書きながら何度か泣いたと思う。修正をするときも泣いた。パートナーに読んでもらっている間も涙が出て、なんだかとても気持ちが良かった。もう泣けるんだなあとしみじみ思った。私の中で、父と向き合ってきた時間がひと区切りしたのを感じた。

これ、せっかくだしどこかに載せたら、と彼は言った。私は、誰に読ませなくてもどこに載せなくても、常日頃文章を書く癖みたいなものがあって、それは特定の誰かに充てた、出すことのない手紙のようなものであって、だからこそ人目に触れるようなもんではないのかなとぼんやり思っていた。

しかしどこかに載せればと言われたら俄然やる気になる。前から、次にブログやるならnoteがいいなあと思ってて、見てみたらちょうどコンテストをやってる。モチベが上がる。

改めて文章を読み返した。一応ライターなので、なるべく客観的に読み返しながら、もしこれを人に読んでもらう形に整えるなら、やはり遺産相続の件も盛り込むべきだよなあと考えた(当初その件は書かなかった)。

でもそれを書くのが1番骨が折れるなあと思い、一晩悩んだ。パートナーにも「書きたくないことまで無理しなくていいよ」と言われながら、だよねえと頷きながら、とりあえず書くだけ書いてみた。書いてみなくちゃわからんこういうのは。

書いてみて、思ったより自分はあのことを許せてるんだな、と思った。誰のことももう責めてない。自分のことも父のことも。ならまあこのまま載せよう、と、割とあっさり思えた。

文字を綴る呼び水

それにしても突然あんなことを書き出すなんて、なんの引力が働いたのか。そういえば21日は月が綺麗だった。真っ白な満月で。私の心に留まり続けていたものが、涙と一緒に文字の形になって出ていったような感じだった。

書きながら泣いた、なんていうと大袈裟な話かも知れないけど、わたしゃ書きながら泣くことなんてしょっちゅうだ。文字を綴りながら、ひたすら心の奥底に潜り込んでいくのは気持ちがいい。自分でも思ってみなかった気持ちが文字になって立ち現れていくのは、さながら行に似ていると思う。

例えば密教のお坊さんがひたすら読経しながら変性意識に入って、己の魂の深みまで没入していく過程があるとすれば、「読経」つまり言葉をひたすら繰り出す行為は、意識から無意識の世界へと無事に行って帰ってくるための命綱みたいな役割を果たしているんだと(勝手に)思っていて。

(おかざき真里の「阿吽」で描かれる読経のビジュアルが、個人的にはまさにそんな感じで)

文章を書きながら心の奥底に潜り込む作業は、読経に似ていると思う。さらに月の引力によって否応なしに意識は深みに入っていく。潜在意識に触れるのは痛い。だから自ずと涙が出る。でもそこに広がる痛みを感じることで、自ずと癒され、言葉が生まれていく。

涙は波みたいなもんだ。月の引力で出てくるんだからそれはただ流せばいいのだ。

そうして月のリズムによってある日突然浮かび上がる感情に、訳もわからず、ただ言葉だけで降りていく作業は、それ自体が自分を癒すことにつながるとつくづく思う。

私には文章を書くという手段があって、良かったなあと常々思う。そんなわけで良かったら「私にはこれが愛」ぜひ読んでください。


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