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Sくん がんばれ

 彼は機長昇格の訓練に入れなかった。
 訓練に入れなかった具体的な理由は僕には分からないが、他の機長の評判は悪かったのは事実だ。四面楚歌までとはいかないけれど、半分以上の機長が彼の機長昇格には否定的だった。
 機長にはフライトの中で常に重要なストレスのかかる判断が求められる。それをサポートして機長が仕事しやすい環境を作るのも、副操縦士の業務の一つである。機長の仕事しやすい環境の中には、機長との人間関係も含まれる。
 彼は機長の指摘に納得がいかないと反抗的な態度を取り、次の日になると「今日は操縦させて頂かなくて結構です」ということもあるらしい。これでは人間関係が成り立たない。彼のその態度に怒って「性格が悪すぎる。もう2度と操縦はさせない」と言っていた機長もいた。
 機長との人間関係は、副操縦士が機長を目指して技量を上げるという点でも大事だ。それなりに気に入られないと教えてもらえないし、もしかしたら操縦すらさせてもらえないかもしれない。だから、副操縦士は一緒に乗る機長に気に入られようと、その機長のやり方や考え方に合わせて仕事をする。そうすると「おう、お前わかってんじゃねーか」と機長の機嫌が良くなるのだ。
  でも、副操縦士もそんな単純な奴ばかりではない。表向きは機長にペコペコしながら、裏で「あの機長は変な操作するよな。ついていけね〜」みたいなことは言っている副操縦士がいるのである。
 そんな中「納得いきません!」と歯向かって来るSくんは、僕からするとそれはそれで正直で良いと思うし、彼の個性なのかな、と思ったりする。だから、彼の性格を悪いとは思わない。素直で良い人だと思っている。

 そんな彼と半年ぶりぐらいに一緒に乗った。
「その後、昇格の話は進んでないの?」と聞くと「何も」と言いながら首を横にふるのみで、その後の言葉が続かない。精神的に厳しいんだろうな。暗闇に放り込まれって、出口がない感じだと思う。だから、耐えて欲しい。頑張って欲しい。

 何便が操縦を任せて、「でもな」となってしまった。
 初日に降下する時、下の高度に揺れる空域があった。ちょっと早めに降下開始するとか、あるいはシートベルトサインを点灯させてから降下開始するとか、いろいろ対処方法はあったとは思うけど、彼はいずれの対応も取らずに突っ込んでいった。
 これは天気の解析をしていないな、自分の頭で考えていないな、と思って、次のフライトからは質問することにした。「次、どこで、どれくらい揺れる?理由を含めて答えて」と、この先の揺れそうな空域や揺れの程度を逐一聞いた。最初はかなりいい加減な、気象情報や天気図の解析によらない、根拠ない解析だったけど、次の日には少し答えられるようになってきた。
 問題点はこれだけではなかった。晴れの日の朝に、ウェザーレーダーを作動させて離陸した。ウェザーレーダーは基本的には積乱雲の発見の為のもので、特に層雲の雲中飛行で視界がない中でも積乱雲を表示させるのに効果を発揮する。積乱雲は日射で地上の気温が上がり、上空との気温差が大きくなって発達する雲だ。だから今回のように、快晴の朝一番のフライトでウェザーレーダーをつけるのは、ウェザーレーダーの使用の目的を理解してないことになる。
 ウェザーレーダーを作動させて離陸した点が良くなかった理由はもう一つある。その時の空港は周りに山が点在して、地上の障害物を気にしながら飛ばないといけない空港だった。山を含めた地上障害物のデータはコンピューターに記憶されているが、モニターにはウェザーレーダーを表示させるか、障害物を表示させるかの、どちらか一方しか写せない。今回の状況では、障害物を表示させる必要があった。マニュアルでも、空港近辺では積乱雲よりも、障害物のリスクの方が大きいので、障害物を表示させることを優先するという指示もある。この件では、彼が地上の障害物のリスクを感じていないのと、マニュアルを理解していない、ということが分かる。
 他機との衝突のリスクに対しても、配慮が足りなかった。その時は比較的混雑する空港に向かって降下していた。下の高度を何機も飛行機がいるのに、彼は大きな降下率、つまり急な角度で降りていった。管制官が飛行機同士がぶつからないように、高度をずらして指示しているのでぶつかる心配はまずない。しかし他機との接近率が大きいと他機との接近警報装置が鳴ってしまう。だから混雑する空港では大きな降下率は使わないのがセオリーである。しかし、彼は大きな降下率を使ってしまう。
 機長になるには、リスク管理ができなくてはいけない。フライト中に常に起きる様々な、「放っておくと、ちょっと危ないかもしれないこと」を先回りしてつぶしていく事が求められる。単に着陸がうまいとか、操縦がうまいではなれない。いろんなリスクを考え、それぞれを最小化するために手を打っていくことが必要な能力として求められる。しかし、彼にはそのリスクを感知する事ができない。
 着陸の操縦テクニックは水準以上である。ちょっと荒削りだが上手かった。だからもったいない、と思う。

 何の仕事でもそうであろうが、パイロットも仕事の仕方、飛行機の飛ばし方について、自分の考えを持たなくてはいけない。完全なイエスマンの発想の人は、ある程度まではできても、その後伸び悩むと言われている。機長に合わせすぎる副操縦士は、従属心が強く、自分のやり方やポリシーみたいなものが育たないのかもしれない。
 また操縦技術を伸ばすには、ある種の根性論も必要である。「No Guts、No Glory」(根性なしに栄光なし)という英語の諺があるが、これは戦闘機乗りがよく使う言葉だ。
 だから、「何くそ、機長に負けるものか!」という気持ちは大切である。機長と良好な人間関係を築きながらも、でも心の底では「俺だって負けないぜ」というプライドが必要である。だから副操縦士が時折、多少の不遜な態度も出してしまっても、それはそれでOKだと思っている。

 彼を見ていると、自分の過去を思い出してしまう。僕は、そこまであからさまに反抗はしなかったけど、反抗する彼の気持ちはよくわかる。だからこそ、心の中では応援していた。でも今回のフライトを見て、これでは推薦できないな、と残念な気持ちになった。
 初日に揺れる高度に突っ込んで行こうとしたフライトの後、僕は過去の機長になれなかった人の話をした。「危ない所を危ないと認識しないで、情報も分析しないで、突っ込んではいけない。きちんと危険を認識して、情報を分析してリスクを評価しないと。評価の仕方にはその人なりの判断基準があり、色々議論はあるけど、リスクの存在自体を見落とす人は機長になれないんだよ」と説明した。これは他の人の事を言っている風を装って、まさにSくんのことを言ったつもりであった。でも、彼に伝わった感触はなかった。
 何日かの一緒のフライトの後の別れ際に、彼は「また、よろしくお願いします」と言ってきた。副操縦士がみんな言うお決まりのフレーズだけど、重かった。本当はなんとかしてあげたいけど、今のままではできない。その時は残念に思った。
 
 後日、彼からレポートが送られてきた。副操縦士は、操縦をさせてもらった機長に所定の方式の簡単なレポートを提出することになっている。そこには「リスクを見逃さない」云々と書いてあった。僕の言っていることが分かっているのかもしれない。伝わってちょっと嬉しい。彼にはまだ、まだ見込みがある。

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