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竜宮城からの招待状(パスポート) 5話 たまてばこのポテンシャル

 浦島太郎資料館に併設された喫茶竜宮城の中、慶汰は時折相槌を打ちながら、アーロドロップの話を聞いていた。
 アーロドロップが大きく呼吸したタイミングで、慶汰はストローを口に咥える。
 無意識に吸ったアイスコーヒーが、さっきより冷たく感じた。
「――ま、そんなところよ」
「つまり、うっかりミスで追放されたってことか……」
「わざわざ繰り返さないでくれる……!?」
 アーロドロップから睨まれて、慶汰は苦笑した。
「ごめんごめん。それにしてもアロップの作ったモルネアが人格を宿したAIだったとは。なるほど、実体がないってそういうことか……しかしすごいな」
 表情を緩めたアーロドロップが胸を張った。
「ふふん。それにしても、姉上すらけっこう驚いていたのに、慶汰はそんなに驚かなかったわね」
「地上にも似たような技術はあるんだよ。どうもモルネアの方が優秀みたいだけどな」
「あたしはそのAIとやらがよくわからないけれど、モルネアはまだ発展途上よ? 他人の会話を聞いて割り込めるくらいにはなってきたけどね」
〈あたりまえでしょ~、ボクはそういう仕組みなんだからー〉
「他人の会話に割り込める時点でだいぶすごいんだよな……」
 慶汰は戦慄にも似た畏怖を覚えた。モルネアがAIの代わりというなら、人の命令に逆らえるのは都合が悪いのではないか? だがどうも、アーロドロップはモルネアに本気で人権と同レベルの自由を与えようとしているように思える。
「そういえば慶汰、あたしに玉手箱をくれる、みたいなこと言ってたけど……本物の玉手箱がどこにあるか知ってるの?」
「ああ、俺ん家の倉庫にあるぞ」
「へえ、あなたの家に……はぁ!?」
 慶汰は、まだ言ってなかったっけ、と頭をかいた。
「漂流してきた浦島太郎に衣食住を提供した浦島一家……あの人たちをルーツとするのが、我が家だ」
「…………っ」
 アーロドロップは表情を消して黙り込んだ。オレンジジュースをゆっくりと飲んで、大きく首を傾ける。
「ん? 慶汰は、その立場でありながら、あたしに玉手箱を渡そうってわけ?」
「そりゃ、できることなら……さすがに俺の独断で渡せるものじゃないんだけどさ」
 問題はそこだ。玉手箱は浦島家の象徴。いくら人助けのためとはいえ、それを家主の港鷹がタダで他人に譲っていいなどと言うはずがない。
 そう考えていると、アーロドロップがさらに首を傾げた。
「……普通あなたの立場なら――ましてこっちの事情までわかっているのなら、あたしを警戒するものじゃないの? あなたにとってあたしは敵でしょう?」
「敵って、なんでそうなるんだよ」
「玉手箱を取り合うのだから、そうなるでしょう?」
「物騒だな。ま、俺たちが対立する立場かどうかはともかく」
 慶汰はコーヒーを一口飲んでから、考えを伝えた。
「消えたり浮いたり、まして記憶まで消してくる相手に隠し通せるとも思えないし。実際こうして話を聞いてみりゃ、俺が言わなくたっていずれ、モルネアが我が家を特定していたんだろう?」
〈まぁね! それが今のボクの使命だし~〉
 ネイルコアからご機嫌な声が届く。それはつまり、アーロドロップたちが浦島家を襲撃してくる可能性があったことに他ならない。
 玉手箱のある倉庫は敷地内に独立して建てられている。コンクリートの高い壁と、丈夫な瓦屋根の建物だ。入口の扉は指紋認証と四桁のシリアルナンバーによる電子ロックが掛かっており、センサーカメラによって人が近づけば自動で録画される仕組みになっている。
 だが、モルネアがいれば電子ロックも防犯カメラも無力化される恐れがある。初めて出会った時に見た銃撃がアスファルトの地面を穿っていたので、アーロドロップなら力業で扉の破壊も可能かもしれない。
 運良く録画できたところで、消えて飛べる相手を追いかける術はなく、逃げる先が深海なのだから待ち伏せも追跡も不可能だ。
 それらを踏まえると、対立したところで玉手箱を守り抜けるとは思えなかった。
 慶汰がもし、彼女たちから玉手箱を守るべきだと考えたとしても、真正面からやり合って勝てる見込みがないのだから、ここは味方のフリをして、もう少し手札を探るのが上策だという作戦に落ち着くだろう。
 もっとも、慶汰はそこまで思考を巡らせながらも、警戒心は抱かなかった。
「それに――今ここに、助けられる人がいるんだ。放っておけないだろ」
 言って、慶汰は照れくさそうに頬をかいた。いつの日か、海来が慶汰に残した言葉だ。
「……慶汰って、ずいぶんお人好しなのね」
「悪かったな。俺はただ、最初からできないとか、相容れないとか、決めつけたくないだけだ」
「……ふぅん?」
 頬杖をついたアーロドロップは、にんまりと唇を曲げた。
「あたし、あなたのこと、気に入ったかも」
 あまりに自然に言われて、慶汰はごくんと息を呑む。
「もしあなたが竜宮城で生まれていたら、今頃あたしの側近だったかもね」
「ハハハ……側近、ね」
 幻想的な海の中の世界で、お姫様の側近。すると青い袴のような格好になるのだろうかと慶汰は想像して、あまり似合う気はしないな、と苦笑する。
「もし望むなら、現実にしてあげてもいいわよ? ただし、玉手箱をくれるなら、ね」
 慶汰は即座に首を横に振った。
「いや、悪いけど、それはいいや。姉さんを一人にはできないよ」
〈ぷぷっ。フラれてやんの~〉
「なっ、どこでそんな煽るようなセリフを学んできたの……! こ、これは小粋なジョークというのよ、モルネア」
〈それを見栄っ張りっていうんだよぅ、アロップ〉
「く、調子乗ってると痛い目見るわよ……!」
〈アロップみたいに?〉
「くッ……ぅぅ~……っ!」
「モルネア、容赦ねえな……」
 無慈悲に相手の一番深い傷口を抉る切り返しには、慶汰も顔が引きつってしまう。
「思いやりって、どうすれば学んでくれるのかしらね……」
 さめざめと愚痴をこぼして、アーロドロップはおもいっきりストローを鳴らした。オレンジジュースを飲みきると、仕切り直しと言わんばかりに話を戻す。
「じゃ、そのお姉さんも連れてってあげる。それならどう?」
「粘るなあ」
 彼女は玉手箱がなければ帰れないのだ。事情を思えば、無理もないだろう。
 ……が、それでも、慶汰は首を縦に振れなかった。
「姉さんが、さ。交通事故で、意識不明の重体なんだ。いつ、生命活動が止まるかもわからない。俺にできることは、毎日声をかけに行くことだけ」
 アーロドロップは目を丸くした。
 言わなければよかった、と慶汰は後悔したが、どうも彼女の様子が変だ。デリケートな重い話を聞いて気まずくなった風ではない。なにか、真剣に考え事をしているような雰囲気だ。
「ねえ、慶汰。期待しないで聞いてほしいの」
 すかさず、慶汰の足を治してくれた魔法が脳裏によぎる。
「まさか、姉さんを治せるとでも言う気か……!?」
 身体が勝手に立ち上がっていた。右足はもう、微塵の違和感も残っていない。
「さすがにあたし個人の治癒術では無理ね。けど、もしかしたら――」
「なにか手立てがあるのか!?」
 テーブルに手をつき迫る慶汰の肩を、アーロドロップはやんわりと押し返した。
「……まったく、仕方ないわね。でも焦らないの。大切な話なら、なおさらよ」
 慶汰は椅子に座り直した。だが、すぐには落ち着けない。
「結論から言ってくれ」
 アーロドロップの瞼が呆れたように半分下りる。
「焦るなって言ったでしょ、もう……。まあいいわ、じゃあ一言で言ってあげる。――お姉さんを救える、かもしれないわ」
「本当か……!?」
「保証はできないけど、慶汰はさっきこう言ったわね――若い男がおかしな箱を開けたら一瞬で老人の死体になった。極論、浦島太郎の発言がすべて嘘だとしても、この一点だけは揺るがない、って」
 アーロドロップは熱のこもった笑顔を浮かべた。
「どういうことだ……? 何が言いたい……?」
「前提として、龍脈エネルギーの仕事の強さは、龍脈の量に比例するの。そして龍脈術とは、そんな龍脈エネルギーを、何にどう作用させるのかを定めることなの。そうでなければ、龍脈エネルギーは風や熱などに変換されて、霧散する。それはいい?」
「お、おう」
「二十歳前後の若い男が一瞬で何十歳も老化した……その原因は龍脈術の仕業としか考えられないわ。けれど発動するためには膨大な龍脈が必要よ」
「でも、地上に龍脈なんて流れてこないんだろ?」
「その通り。とてもじゃないけど、実現は不可能よ。でもあなたの言うことを信じるならば、それが遙か昔に現実で起きた。じゃあ、それを起こすための龍脈と術式は、いったいどこにあったのかしらね」
「それが、玉手箱ってことか!」
 アーロドロップは、曖昧に頷く。
「気になるのは、当時の乙姫上皇陛下がどうしてそんな術式を玉手箱に仕込んだのかっていう動機についてなんだけど……」
「動機がなんであれ、浦島太郎が老化した事実は変わらない、よな?」
「まあそうね。そこは今考えても仕方ない、か……」
 アーロドロップはそう呟いて、大きく頷いた。
「とにかく、大量の龍脈を、地上に持ち出せる手段がある。そして人を急激に老けさせる術を行使できた。なら、術式部分を改変できれば、慶汰のお姉さんを救えるかもしれないわ」
 慶汰は胸を押さえた。鼓動が高鳴る。
 奇跡を信じて待つことしかできなかった現状を打破できるかもしれない可能性が、まさか自宅に眠っていたとは。
「で、できるのか、本当に……そんなことが?」
 アーロドロップが、自信に満ちた微笑みを浮かべる。
「あたし、発明王女だもの」
〈元だけどね!〉
「お黙りなさい!」
 人差し指を叱りつけて、彼女はコホンと咳払い。
「とにかく、慶汰が信じてくれるなら、あたしが奇跡を起こしてあげる。ただし、あくまで仮説が正しければ、よ」
 とても、魅力的な話だ。
 アーロドロップに玉手箱を渡せば、海来が救われるかもしれない。なら、その可能性に賭けてみたい。
「その仮説が正しいと証明するには、どうすればいい?」
「玉手箱を見れば、たぶんわかると思う。モルネアには龍脈保有量の計測機能があるから」
〈任せて~〉
「そういうことなら、すぐに現物を見せてやる……!」
 慶汰は焦ったように会計を済ませると、アーロドロップの手を取って、喫茶竜宮城をあとにする。
「ちょ、お、落ち着いてってば!」
 慌てながらも、アーロドロップは鉄扇を取り出し、店員や館内スタッフに向けていく。次々上がる短い戸惑いの声。
 建物を出たところで、アーロドロップがほっと息を吐いた。どうやら、記憶麻酔術をかけ損ねた相手はいないようだ。

 浦島太郎資料館から電車で鎌倉駅まで帰ってきた慶汰は、駅の駐輪場に駐めていた自転車を回収し、手で押して歩き出した。そばには姿を消したアーロドロップがいて、地面に目をやればそれらしき影がわかる。
「あ、忘れてた」
「どうしたの?」
 横にいるとわかっているとはいえ、姿が見えない人から話しかけられるのはどうも違和感が強い。
「いや、母さんは今日、夕方までパートしてるんだった。父さんも仕事だし……すぐには倉庫に入れない」
「もしかして、鍵がないってこと?」
「いや、ナンバーロックだから番号がわかれば……勘で当てるしかねぇか」
〈勘って……何桁かわからないけど、途方もない時間がかかるんじゃないの~?〉
「それが、そういうわけにもいかないし、そういうわけでもないんだ」
「どういうわけよ?」
 元々、まだ慶汰が小学生だった頃は、シリンダーと鍵のタイプだったのだ。ただ、海来と二人で勝手に倉庫の中で遊んでいたら鍵を紛失してしまい、その一件以降、指紋認証と四桁のシリアルナンバーで解錠するタイプの電子キーに換えられた。
「このナンバーロック、二回間違えると警備会社に防犯カメラの映像が飛んで、場合によっては警備員が駆けつけるシステムになってるんだ。指紋認証は俺の指紋も登録してあるからそっちは大丈夫だけど、シリアルナンバーの方がな……まあ間違えても自宅の倉庫だし逮捕されることはないと思うけど、だからって迷惑かけるのはさすがに……まあ賭けてみてもいいんだが」
 慶汰の声がぼそぼそと小さくなっていく。
「番号、教えてもらってないの?」
「ああ。悪戯した罰として、番号は教えないって言われてそれきり」
「じゃあどうしようもないじゃないの……」
「いや、それがそうでもなくてさ……当時、まだ小学生だった俺がどうしてもってせがんだら、父さんが問題を出してきたんだ」
「問題?」
「解除番号は、父さんと母さんの結婚記念日らしい。で、俺たち家族四人の誕生日に含まれる数字のうち、重複しない四つの数字の組み合わせだって言われたよ」
「あら、なかなか家族想いなお父様じゃない」
「……まぁな」
 アーロドロップの声音が、意地悪げなトーンに変わる。
「それを知ってて今、勘で当てようとしているってことは、慶汰はご両親の結婚記念日に心当たりがないわけね」
「悪かったな。クイズにされた以上、母さんに聞くのもずるい気がして、そのまま聞かずじまいだったし。ただ、結婚記念日は誰の誕生月とも被らないって話だ」
「へぇ」
「四つの数字以外は二つずつ揃ってるから、使う四つの数字ははっきりしてるんだけど」
「ふぅん? ちなみに、慶汰のご家族の誕生日で、月や日付の数字が一緒ってことはあるの?」
「父さんが五月一七日生まれで、母さんが五月八日生まれだから、五が被ってるな。他は全部違う数字だ」
「……となると、慶汰の誕生日って――」
 ふいに慶汰の耳元に柔らかく温かい吐息が届いた。急なことでもあったが、それ以上に囁かれた日付が的中していて、慶汰は驚愕する。
「はぁ!? まだ両親の誕生日しか教えてないのに、なんで……!?」
「ふふん。これでおあいこね」
 アーロドロップが得意げな声で言う。どうやら、浦島太郎資料館に行く途中で慶汰が彼女の事情を言い当てたことの意趣返しのつもりらしい。
 慶汰は素直に感心した。
「よくわかったな」
「知らなくてもわかるわよ。あたし、今日あなたと再会する前、こっちの世界の年間カレンダーを見たもの」
〈ねぇアロップ、今勘で言ったでしょ〉
「残念、確信あったわよ?」
〈嘘だ~。組み合わせもっと色々あったじゃん〉
 姿を消したまま、アーロドロップは優しく諭すように語りかけた。
「モルネア。あなたは居合わせた出来事を余すことなく記録することができるし、その記録から様々な情報を引き出して組み合わせることができるわ。けれど、いつどの記録を使うべきかについては、まだまだ成長段階みたいね」
〈え~?〉
「モルネアのことだから、結びついていないだけだと思うの」
〈違うの? わかんないよぉ~!〉
「慶汰と初めて出会った時――釣り針をあたしたちにぶつけてくる直前、なんて言っていたかしら」
 すると、モルネアの音声が、幼き少年のそれから慶汰そっくりの声に切り替わった。
〈……奇跡なんて、起こせるわけないだろ。今日が誕生日だったんだぞ〉
「うおっ、聞こえてたのかよ!? つーか俺どんだけ恥ずかしいこと言ってたんだぁ……!」
 珍しくセンチメンタルな時に発したポエムチックな発言がピンポイントにプレイバックされて、慶汰は顔を逸らさずにはいられない。
「ほら、誕生日って言ってるじゃない」
〈でも、誰の誕生日の話なのか不明だよ?〉
「あの時はね。でも今考えればお姉さんの誕生日よ。まあこの辺は感受性の問題かしら」
〈感受性って……難しいよー!〉
「難しいって言える時点で、十分すごいと思うけどな……」
 慶汰の呟きに、アーロドロップはどこか憂うような声音で答えた。
「正直、まだまだ学んだ会話パターンに即した反応としか言えないわ。いつか、本当の意味で心を持ってくれたら嬉しいんだけど、ね……まだちょっと難しいか」
〈でさ~、結局アロップはどうやって慶汰の誕生日がわかったの?〉
 慶汰もそれは気になっていたので、コクコクと大きく頷く。
 先ほどの母親のような雰囲気はどこへやら、アーロドロップは年相応に元気いっぱいな声で調子よく解説した。
「簡単よ。説明する前に、確定でわかる情報をまとめましょうか」
〈慶汰を除く家族の誕生日は、両親の五月一七日と五月八日。アロップはお姉さんの誕生日、七月二〇日も知っていたから、この時点で『5』と『7』が結婚記念日の数字候補から省かれて、『0』『1』『2』『8』の四つが残ったね~〉
「次に、慶汰の電子キーの説明から、結婚記念日の選択肢は三択以上あることがわかるわ」
〈なんで?〉
「一回は間違えられるけど二回目で間違えるとアウトって状況で、確実に当てられないけど勘で勝負する分にはそれほど分が悪くないって雰囲気、感じられなかった?」
〈雰囲気なんてわかりません~〉
「そこもモルネアの今後の学習課題ね。次、『四桁全て違う数字で三つ以上の日付を作れる組み合わせ』という条件から、最低でも四人の誕生日に『0』と『1』は確実に一度だけ出てくるわ。かつ『2』か『3』のどちらかも必要になるの」
 たしかに、と慶汰は頷いた。
 例えば、使う四つの数字が『0123』であれば、そのまま一月二三日、『0213』で二月一三日……というように、三月一二日、三月二一日、十月二三日、一二月三日、一二月三〇日といくつもの候補日が作れる。
 これが『0189』だと、八月一九日と九月一八日の二択しか作れなくなるのだ。そのように考えていくと、三択以上の日付候補が出せる四つの数字の組み合わせは、自ずと限られてくる。
〈じゃあ、まだ慶汰の誕生日が出ていないのに条件に適した候補になっちゃったわけだけど?〉
「ええ。でも、四人の誕生日において、両親の五月以外同じ数字はないと慶汰が言った。すると慶汰の誕生日が『四月四日』や『九月九日』のような打ち消しあうだけの日付になる可能性はないわ」
〈じゃあ『0128』のままってわけにはいかないね~〉
「そうなると、その四つの数字からどれかを打ち消して、別の数字『X』を増やす必要があるわけだけど、そこはどう考える?」
〈まず、『0』と『1』を打ち消しちゃダメ~。そして親の誕生日に五月八日があるから、八月X日もX月八日も使えない。つまり『8』だけを打ち消すことはできないねー。一方で、『2』は二月X日、X月二日の使い方ができるー。すると使う四つの数字は『018X』……さっきアロップが言ったように『2』か『3』のどちらかは入っていないと結婚記念日候補が三択にならないから、使う数字は『0138』になるわけか~〉
「その通り。これでもうモルネアも、慶汰の誕生日を計算できるわね」
〈うん! あと必要なのは、打ち消し用の『2』と不足している『3』を使った日付が慶汰の誕生日! そして三月は結婚記念日の選択肢として残す必要があるから、二月三日しか可能性はありえない!〉
「な、なるほどな……」
 慶汰は舌を巻いた。モルネアはまだ、データとしてカレンダーを一覧表にして参照できるかもしれないが、アーロドロップはそれを自らの脳みそ一つで思い描いたのだ。
「ふふん! 慶汰、さっきみたいに人に話す時は気をつけなさいよ? 簡単にここまでわかっちゃうから」
 楽しそうに言われた。姿を消しているため顔は見えないが、きっと得意げな顔をしているのだろう。
「……普通それができないってわかってて言ってるだろ。つか、リスク云々の話をするなら、記念日で暗証番号を設定している親父の危機管理意識もよくないと思うんだが……」
 そうこう話しているうちに、浦島家が見えてきた。
 浦島家は住宅街の奥に広く敷地を持っており、その敷地を高い塀と防犯カメラで囲われている。中には普段慶汰たちが暮らしている平屋で瓦屋根の木造建築に、専門のプロが手入れする庭池もある。
 慶汰たちは堂々と門から入り、庭を通過して車を六台仲良く並べられるガレージに自転車を片付けた後、ガレージとほぼ同じサイズの倉庫へと向かった。
 コンクリートの壁で造られた倉庫は、高い位置に鉄の格子網がつけられた小窓がひとつあるだけで、出入り口は一箇所のドアに絞られる。そのすぐ脇の壁には、警備会社のロゴマークが入ったテンキーと指紋認証用のスキャナーが備わった小型の機械が取り付けられている。
「さて、慶汰のご両親の結婚記念日は三月一八日と八月一三日と八月三一日のどれか……これは結局、合っているのよね」
「ああ。名推理だよ」
 一回での的中率は三分の一。二回目なら二分の一だ。ただここで失敗すれば即大騒ぎになる。
「気楽にいきましょ、一発で成功しなかったらおとなしく親御さんの帰宅を待つ。その場合はあたし、姿を消したまま側にいるから」
「それが一番平和だな……じゃ、なんとなく三月一八日で」
 慶汰は躊躇いなく『0318』と押していく。これ以上は考えようがないのだから迷っても仕方がない。すると、運のいいことにナンバーロックが解除された。
「お、ラッキー」
 ゴキゲンに指を指紋認証スキャナーに滑らせて、ガチャンと解錠音が鳴る。
「さぁ、この奥だ。……むわっ、熱が籠もってて暑いが我慢してくれ」
 慶汰が壁に備え付けられた照明スイッチを押す。埃っぽい室内が、オレンジ色の光で照らされた。開けたドアから入った風が少し空気をかき混ぜて、シンナーや古い木材の臭いがほのかに漂う。
「気遣いありがと。でも大丈夫よ、乙姫羽衣は温度調節ができるから快適なの」
「龍脈術がチートすぎる……」
 一家の家宝、玉手箱を大切に閉まっている倉庫ではあるが、実質九割方は物置代わりになっている。
 無骨なスチールラックには車を洗うためのスプレーやブラシが無造作に並んでおり、昔海来が使っていた学習机の上には、いつの間にか捨てられたと思っていたランドセルが乗っかっていた。
 そんな倉庫の一番奥にあるスチールラックには、クリーム色の分厚いカーテンの布が、いかにもな四角い膨らみを持って覆い被さっている。
 それを慶汰が剥ぎ取ると、分厚いガラスケースが露わになった。こちらは鍵を差し込んで開くタイプの南京錠でロックされており、中には綿が詰まった座布団が敷かれて、玉手箱が鎮座していた。
「これが、玉手箱だぞ」
 木の板一枚を不条理に曲げて作られた大きな木箱。学年を重ね、工作や木工の授業で扱う木の板では、とてもこんな形になどできやしないと学んだ世界の異物。
「モルネア、計測して」
〈は~い――〉
 ぷつん。出所のわからない音が気色悪くて、慶汰の身の毛がよだつ。
 数秒して、ガラスケースに手を触れたアーロドロップの姿がパッと出現した。
「おお、いるとわかってても急に出てくるとびっくりするな」
「うそ、でしょ……? モルネア……? モルネア……ッ!」
「……ん?」
 アーロドロップがガラスケースから遠ざかるようによろけて、尻餅をつく。
「お、おい大丈夫か……?」
 慶汰がおそるおそる歩み寄ると、アーロドロップは俯いたまま答えた。
「モルネアが……玉手箱に、吸われて消えた……」
「は……? えぇと、どういうこと?」
 慶汰は漠然と恐怖を察知して、彼女と玉手箱を交互に見やる。
 アーロドロップも両眼の瞳孔を小刻みに震わせて、玉手箱を見ていた。
「この玉手箱……龍脈を吸い取ろうとするみたい」
「だから、龍脈でできているモルネアが入ってしまった、と……?」
 こくん。アーロドロップは青ざめた顔で頷くだけ。
 慶汰は少し、躊躇った。だが、訊かなければわからないからと、恐怖に立ち向かうように尋ねた。
「中に入ったモルネアは……どうなったんだ?」
 瞬間、訊かなければよかったと後悔した。アーロドロップの瞳から、大粒の涙がぼろぼろと流れ出したのだ。
「わかんない……! わかんないわよ……ッ!」
 アーロドロップが縋るように慶汰に抱きつく。
「どうしようっ、どうすれば、あたしどうしたらいいの!?」
「落ち着けアロップ、頼むから落ち着いてくれ……!」
 慶汰はただ、アーロドロップを抱きしめるしかなかった。

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