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実はすっきりしているのかもしれない


本当に終わってしまった。
来週からは異動先での勤務が始まる。
でも、実は異動が決まってから私の顔つきが心なしかすっきりした気がする。
これまでの部署での仕事は、少なからず適性を感じていたし、一生懸命やってきたし、たくさんの人に出会って、よくしてもらって、使命も役割もそこにはあって、仕事としては楽しむ条件がそろっていた。
でも、もしかしたら認めたくないけれど、重圧を感じていたのかもしれない。
その解放感からか、ここ数日は憑き物が落ちたようにすっきりとした顔つきをしている、と自分で思っている。


部署で一番在籍年数が長かった私は、この1~2年の間に大きな転換期を迎えようとしている業務に深いところまで立ち会ってきたし、自ら手を入れて改革を進めてきたところだった。
課題を分析して、仮説を立てて、ステークホルダーとの調整をして、解決方法に向けて試行錯誤していくことは、いつの間にか私の役割となり、やりがいというのとは少し違うのだけれど、私の価値や存在意義を感じるには十分な場所だった。


でも、ずっと孤独だった。
真の意味で共感して賛同して伴走してくれる仲間や相棒は望めない状況で、ずっと自分が部署全体をリードしてきた。
在籍年数が長いばかりに、上司ですら私を頼らざるを得ない状況がプレッシャーだったのかもしれないし、重荷だったのかもしれない。
走り続けているときはそんなこと微塵も感じたことも考えたこともなかったし、今でもその実感はない。
でも、今はどこか心が軽くなって、晴れやかな顔をしている自分がいるのは事実である。


重荷やプレッシャーなんて、私が勝手に感じていたにすぎないのかもしれない。
それでも、やらなければいけないことはあったからやってきたし、やったほうがいいことにも手を付けてきた。
苦しむことすら楽しんで、困難なことですら興味とワクワクに変えてきた。
今から振り返れば、ハイな状態だったのかもしれない。
こんな大変な時期にSkillmeの講座だって走り切ったし、こうして毎日noteを書き始めてまもなく3か月が経とうとしている。

全くもってどうかしていたのかもしれない。


単に異動するだけなので、休むことはないけれど、ちょっと落ち着いてみるのもいいのかもしれない。
今となれば、何でこんなにがんばってこられたのか分からないけれど、もしかしたら、自分の立ち位置とか価値、存在意義を示したかったのかもしれない。
でも、そうだとすれば、私の異動に際して泣いて惜しんでくれた上司や先輩がいてくれて、もうそれだけで満たされてしまった。
もちろん志半ばにやり残したことはあるし、この状態でここを去らなければならないことになった人事のあり方には納得いってないけれど。


重圧とプレッシャーから解放されて、新生活が始まろうとしている。
今度は、最大の緊張と不安を抱えた日々がしばらく続くだろう。
それでも、これまでの私とはちょっとは違うのだと思う。
この数年の日々は間違いなく私にいろんなものを与えてくれたから。

いただいたお餞別はビタミンCたっぷりのいちご。
ますますすっきりした顔で月曜日を迎えよう。


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