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人とのかかわりを学ぶということ(VUCAの時代を生きるには)

プロジェクト学習に不足しているのではと思うこと

実は、現在の教育課程で進められているプロジェクト学習には足りないところがあるのではないか。
ある人の話からそんな気づきを得ることができました。
そして、それは私が今読んでいる本の内容にも通じることがありました。

私が気づいたのは、人と人とのかかわりの中での衝突に耐える力、受け止める力、そこまでを包含して初めて社会で通用することになるのかもしれないということです。
この視点は、現在の教育の中での教科教育や課題解決学習とは切り離されてしまっていないでしょうか。

プロジェクト学習に力を入れている学校は素敵だけど

私は先日、中学受験をする、学びの場の選択肢を広げたい、という記事を書きました。

中学受験をさせたい理由の一つには、中高一貫校では、充実したプロジェクト学習(課題解決学習)に取組む環境があることがあります。
自分が学びたいこと、疑問に思うこと、課題に思うこと、これらを探求していける学校が、私立中高一貫校や公立であっても一部の中高一貫校にはあります。
残念ながら、私が住んでいる地域の公立校ではそれを望むことはまだできないようです。
(実際に、当地の中学生の自由研究や、高校生のプレゼン授業などを見る機会を持っています。)
だから、子どもの小学校卒業後の進路に地域外の学校を選択肢として加えることにしました。

しかし、どこかで私が子どもに望みたいことが抜け落ちているような気がしていたのも事実です。
私は、大学時代からずっと人にかかわることを学び、それを仕事とし、今はまた別の形ではあるものの人とかかわり続けて仕事をしています。
そこで実践してきたこと、感じてきたことを、多感な中高生時代に少しでも知ってもらえるだろうか、という心配と疑問が今の学校教育全般に対して湧いてきたのです。

ワクワクするような体験だけでいいの?

課題をみつけて、仮説を立てて、調査して、実験して、結論を得る。
これを遂行していくことはとても大切です。
この型自体は、何を成し遂げるにしても基礎中の基礎ではないかと思います。
課題を見つけることも、仮説を立て方も、調査の仕方も、実験も、結論を出してレポートすることも、全ての段階においてスキルがいることであり、それら自身を突き詰めていくことも大事なことです。
そして、自分でこれを遂行していくのはとてもワクワクすることだし、このワクワクを感じられることが、学びの楽しさ、喜びにつながることだと思っています。

でも、本当にワクワクを感じることだけに焦点を当てていいのでしょうか。
実際は、とんでもない困難にぶつかることがあるはずです。
それは、仮説を立てる難しさでもなく、調査で思うような情報やデータが手に入らないことでもなく、実験を失敗することでもなく、論文を書くことの煩雑さでもなく、一番難しく感じる場面とは、これら全ての過程にある人と人とのかかわりにおける困難さではないかとも思うのです。

人間社会の生態系とはどんなもの?

数学で解を求めていくこと、パソコンに向かって新しい何かを開発していくこと、文芸作品を作り上げること、芸術作品を生み出すこと、これらに優劣はありません。
全て尊重されるべきことです。
でも、これらは全て人の生活に関連することであり、何らかの形で人の生活に影響を与えることです。
どこかで、あるいは何かもしくは誰かを介してでも、人とのつながりを見出せなければ、思いを馳せることができなければ、空虚なものになってしまうのではないでしょうか。
あることを突き詰めていくうちに、表面上はそんなに人とは接しないプロジェクトも確かにあると思います。
それでも、人の世界とのつながりは認識しておく必要がありそうな気がしています。

自分と同じ価値観の人と集うことはとても楽だし居心地の良いことです。
でも、自分とは違う理念を持っていたとしても、互いに社会を支え合っているメンバーの一人として相手を尊重すること、それが人間社会の生態系ではないかと思うのです。

人とのかかわりの中で対話や衝突することの経験を積むこと

私は、自分の子どもにも、できることなら人とかかわらざるを得ないプロジェクト学習にも臨んでほしいと思います。
もちろんそうでない学習を否定はしませんし、それも応援したいと思います。

そして、こどもたちが人とかかわる学習をする中で、ぶつからざるを得ないときは、大人も正直にぶつかってくれる世の中でありたいものです。
お膳立てをしてしまわずに、お互いに対話をして分かり合う、譲歩し合う、こういう経験を積ませてあげたいとも思うのです。
自分と違う価値観の人、違うライフスタイルの人、異なるアイデンティティを持つ人、そういう人たちと出会って、冷静に対話、議論するという経験、すぐに結論の出ないこと、解決できないこと、どう考えてもいいか分からないことを考えること、こういうことを子ども自身が経験することはもちろんですが、こういうことに取組んでいる大人と出会うことも重要なことかもしれません。

VUCAの時代に求められること

今の時代はVUCAの時代だとも言われます。
これは、私たち一人ひとりが、混沌さ、危うさ、不確実性を抱きしめながら生きていかなければならないということです。
プロジェクト学習自体は素晴らしい取組みだし、教育の本質でもあると思っています。
でも、そのワクワクドキドキするキラキラした学習の中には、ハラハラすることもあるし、ウーンと悩まされることもあるはずです。
そして、それは自分一人で生み出されるものではなく、相手と向き合うことで生まれることかもしれない。
この覚悟を持つことと、それに耐える力の必要さを伝えていくことも併せて大切なことではないかとも思います。

この本を読んだ人と話してみたい

今読んでいるこの本からも似たようなことが読み取れる気がします。

日本よりもずっとマルチカルチャライズなイギリスの中で生活して学校に通う「ぼく」が何を考え、どう感じ、成長していっているのかが綴られています。
アイデンティティ、多様性、差別、いじめ、貧困、性、とにかくいろんなことが書かれています。
でも、それが12歳の「ぼく」の視点を通して描かれています。
12歳の男の子がどう考えて感じているか想像がつきますか?

ぜひ読まれた方はいっしょに感想を語り合いましょう。

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