自分勝手?だけどそんなもんだ 子供のきもち
子供が成人するような年になったというに、変なことを思い出した。
私は長女で下に弟と妹がいる。
妹が生まれたとき、私は家族からの愛や関心を独り占めにしていたのに、それが奪われたと感じた。
実際、母は生まれたばかりの妹の世話で大変だった。自分も産んでいるからわかるけれど新生児のお世話は慣れていても大変だ。精神的にも肉体的にも追い詰めらている状態になる。
少し手のかからなくなった上の子は放っておくしかない。それは仕方のないことであり、生存戦略である。重々承知である。たまたま父の両親と同居だった時期でもあり、私は祖母が面倒をみてくれる状態になっていた。
祖母との時間は楽しかった。楽しいかったのだけれど…
しかし、それとはまったく無関係に、子供は恨みがましい記憶をずっと持っている。
「おかあさんを取られた」
その時の自分の気持ち、見えていた景色を思い出すと、鼻の奥がツーンと痛くなる。
その後、祖父母は他県に引っ越してしまった。
母は祖父母との同居がなくなり、ある意味楽になったのだけれど、子育ての手が足りなくなったことは家族にとって喜ばしいことではなかった。
母は体が弱く、良く寝込むようになった。父は仕事で精いっぱいだったので、私の世話には手が回らない。
母の具合が悪くなると幼い私は他県に引っ越した祖父母の元に度々預けられた。妹は赤ちゃんなので母が見るしかなかった。
祖父母の元でのびのびと過ごしている時間は幸せだった。
言葉にならない余計なやきもちを焼いて、気持ちの持っていきようが無くなることもなかった。
それは、祖父母が私に注目し、順番を付けずに全ての愛情を注いでくれたからに他ならない。
子供というのは欲しい物は欲しいのだ。それが一度手にして失われたものならば尚更。
自然とおじいちゃんおばあちゃん子になった私。
母の具合が回復すると父が車で迎えに来た。
帰りたくないので渋っていると父に怒鳴られる。
「バイバイしなさい!」
父は私に苛立っていた。あまり子供の気持ちに寄り添うことをしない人だったから、父たる自分の言うことに従わない子供に対しての腹立たしさもあったのだろう。
私は悲しかったけれど、父に従うしかなかったので祖父母と別れるたびに涙をこらえながら「バイバイ」していた。たぶん2歳か3歳だった。
おじいちゃんおばあちゃん子になってしまった私に対して、母は面白くないようだった。今はその気持ちもわからないではない。自分の子が夫の両親に懐いてしまったら、それは気に食わない。
でも子供は掛け値なしに愛情を自分だけに注いでくれる相手に対して、深い愛情を抱くものだ。
母は余裕がなかった。父にいたっては子供に対して関心がなかった。
それでも私は母からの愛情を欲しがっていたので、やっぱり赤ちゃんだった妹に対しては可愛がるとか大切にするといった感情が生まれなかった。
それも両親にしてみれば私に対して「可愛くない」と感じる一因になっていたのだろう。
今思うと、なんだか全員あまり幸せではない。常に不満を抱えて生きなくてはいけない幼少期だった。
自分勝手な考え方や感情だとしても、思慮の浅い、しかも保護してもらわなければ生きられない子供だ。仕方ないし、そんなもんだろう。
でも子供だった自分は今も私の中に存在する。
両親に対する愛情は年々大きくなるし、妹に対してもこれから先の人生に存在してくれることに、心強さを感じている。けれど幼かったころの家の風景、赤ちゃんだった妹、他県に行ってしまったおじいちゃんおばあちゃんに預けられた日々のことを思うと、なんともいえない悲しい気持ちがこみあげてきてしまう。
だからどうして欲しいとか、そういうのは無い。子供を育てるのは大変だと身をもってわかっているから、今兄弟を育てている人に、均等に愛情を注いであげないと可哀そうですよ、などと無理なことを言うのも間違っていると思う。
でも、こんな曇った寒い日は妹が赤ちゃんだったころを思い出す。そして鼻の奥がつーんとして、目が少しウルっとするのだ。
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