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年の瀬は落ち着いた方がいい

年末最後のこの何日かは毎年記憶が曖昧でほぼ無の状態になっている。
まあそれでいいから休みなんだけど、気がついたら年明けているかんじでサウナ後に水風呂浸かってる様な感覚で数日過ごすことになる。

一年の総括とか来年の豊富考えた方がいいよなぁと思いつつも、師走の急激な追い込み感により、実際はなんににも追い込まれていないのにリズムが崩れてなにかやり残してないかみたいなモードに引っ張られる。

世間からの煽りと休むべき身体と休む為の準備とせっかくだから遊びたいとか、この時期こそ何かせねばやら色々せめぎ合ってなにがなんだかわからないことにより無になっていって結果当初の通り正月をしっかり休むことになるかんじで頭の中だけ忙しなくてまいっちゃう、、、
何も覚えてないまま時間が過ぎる
というか休むのが目的だから結果それでいいのか。もうなんでもいい。

11月の終わりから師走が始まりクリスマスやらを越えて年末はこうしようとか丁寧に考えてたことがこの時期にサササッとスピードをあげてうやむやになるかんじが、残り数話で急速に辻褄合わせで終わってく漫画とか、やっつけ仕事をしてしまった時の最後わけわかんなくなってグチャグチャーッッとするかんじに似てて半笑いになるしかない。

結局年明けて3週目くらいまで日常が正常化しない実感があるのだから、旧正月の節分の辺りが身体思考に対しては正しい年変わりなのかもしれない。
おもいっきり休もう。疲れてなくても休もう。

そう考えると学校サイクル開始の誕生日最初にカウントされる4/2は理にかなってるとつくづく思う。春になると動きやすくなってやる気でる。

住んでる国場所によって体感が違うから統一できないのは当然なのだろうけど、自分が今住んでる地域は数字上の始まりと気分身体的始まりが一致するには若干遠い場所なんだなと感じる。
ちゃんと1/1の開始が自分にとっての4/2の様なかんじで始まれる地域に住んでる人の身体頭と比べてみたい。大分違うのだろう。
複雑ではないストレートなかんじの気持ち良い人なのではないかと勝手に想像する。

駄目だ寒い。
もう頭の回転が良いのか悪いのかもわからない。富岳の中ってこんな感じなのか。処理範囲が狭過ぎるか。


ここ最近所要でアンデス系の民謡、音楽を聴き漁っているのだけど聴くやつ聴くやつどれも中島みゆきさんの曲の伴奏にしか聴こえないというゾーンに入ってしまい、中島みゆきさんについて調べるという方向に趣旨が変わっていってしまってるので、一旦落ち着かなきゃいけない。
これも年の瀬だからなのだろうか。

蕎麦食うのだけ守って後はもう自由でいこう。

#2020 #大晦日 #年末 #寒い #12/31

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