子どもにも分かる「生きてるっていいね」
今日は、小1の娘の公開授業。
2時間目は道徳で、「生きてるっていいなと思うときは、どんなとき?」との質問に子どもたちが答えていく。
教科書には、
と記してあって、具体的な場面を挙手して回答していくのだ。
冒頭の言葉は娘が発言したもの。
毎日、弟とケンカして、「◯◯くんなんか、だいきらい!」と捨て台詞を吐いているのに。娘の楽しい場面に弟がいるのが意外だった。
でも、その言葉を聞いたとき、じんわりとした幸せが広がっていった。まるで大地を雨がぬらし、地中に浸透するように。
子どもたちの発言を聞いていると、幸せに感じる場面はそれぞれに異なるようだ。
先生はさらに踏み込んで、話を進める。
先生の質問が一滴の雫のごとく波紋を広げ、子どもたちの心と頭を揺らしていく。
それに対して、子どもたちは前のめりで自分の意見を話していく。僕/私の意見を聞いて!と言わんばかりに、声高に。
保護者懇談会のときに、「うちのクラスは活発で、子供たちはみんな答えたがります。積極性のあるクラスです。」と言ってたことが目の前に広がっている。
今まさに考える力を深めている子どもたちを見ていたら、感動してしまった。
こうやって点と点を繋げていくのか。
先生の先導が素晴らしいな、と。
大人の私も先生の話を聞きながら、私の幸せってなんだろうと考える。
私の周りには、幸せがたくさん溢れている。こうやって子どもたちの成長に刺激を受けて、自分の思考を深められるのは幸福なことだ。
そして、さらなる幸せが重なった。
学校に行かないとごねていた、5歳の息子が夫と一緒に遅れて来たことだ。
最初は緊張した顔でパパに抱っこされていたけど、私の顔を見て
「ママー!」
と、廊下から教室の中に入ってきた。
どうやら、自発的に小学校に来たいと言い出したらしい。そして、得意の補助輪自転車で来たそうだ。
幼稚園とは違う雰囲気に緊張したのか、息子は私の洋服にしがみついてきた。一方で、眼差しは真剣そのものだった。
この子がいるから、娘も楽しさを享受できているんだな。
息子の発達に不安を抱えているけど、未来を不安視しても始まらない。頭で分かっていても、考えてしまう。
それでも、小学校がどんな場所か自分の目で見られたことは息子にとっても、大切な1日になっただろう。
なにせ、初めての場所が苦手な子だから。
娘も後ろを振り返ったタイミングに、弟がいることを知って嬉しそうだった。
こんな何でもない場面が幸せなんだ。
幸せはすでに存在しているけれど、ささやかなのでよく目を凝らさないと気づきにくい。
だから、私たちは大きな出来事に遭遇したときに、当たり前の生活がどんなに幸せだったかと気づくのだ。
大きな出来事が起こると、当たり前がなんと尊いのかと気づかされる。つまり、一見ネガティブに見える事象には、幸せに気づくギフトがセットになっているのだ。
今日は家族4人にとって、幸せを感じる時間になった。
かすかで、それでいて不安定な幸せ。
もっと感度を上げて、この世界に広がるささやかな幸せを拾い集めたい。
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