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左近司祥子「哲学のことば」② 渋谷幕張中過去問

左近司祥子さんの「哲学のことば」(岩波ジュニア新書)が、渋谷幕張中の平成29年度入試で出題されました。

その中に、次のような一文があります。

この宇宙の作り手は、最高によいものでしたので、すべてのものができるだけ、作り手自身によく似たもの(よいもの)になることを望んだのでした。

「哲学のことば」左近司祥子著 岩波ジュニア新書P.184

筆者が言う「作り手」とは神のことです。

神が人間を作り上げる時に、最高によいものを作ろうとした。
その神が宇宙を作ろうとするとき、自分に似たものを作ろうとしたのだ。
この作り手は、自分を設計図として宇宙を作ろうとした。

「哲学のことば」左近司祥子著 岩波ジュニア新書P.184より抜粋

神がいて、神の設計図があったら、人間のあるべき姿がその中に描かれているばかりでなく、人間の一人である私の姿もまた描かれているはずだ。
(中略)
そこでは、神が私に何をさせたがっているかも決まっているはずだ。
一般にこれは、天職という物です。個々人に天職があるなら、「よく」学ぶと同じだ。
その天職を見事に成し遂げるという目的を目指してがんばって生きることがよい生き方ということになる。

「哲学のことば」左近司祥子著 岩波ジュニア新書P.184~185より抜粋

「天職」という言葉は、キリスト教のプロテスタントの考え方です。
カソリックでは、「労働=原罪」となるため、こういう考え方をしません。
ドイツの政治学者であるマックス・ウェーバーは、プロテスタントのこのような考え方が資本主義を作ったと言っています。
西洋では、働くこと一つをとっても、その意義について、このような理論が必要となります。

ところが、日本では、このような理論は必要ありません。
「労働=善」だからです。
働くことは喜びであるため、西洋のように「原罪」として捉えることはありません。
むしろ、定年退職をして働くことができなくなると、社会で必要とされなくなったように感じることから、虚無感を覚える場合の方が多いくらいです。
日本人にとって「よく生きること」=「よく働くこと」だからです。
農業や漁業などで、高齢になっても自然を相手にしながら、元気に働いている人を、テレビでよく見かけます。
その姿は「よく生きる」模範と言えるものでしょう。

働くことは「はたを楽にすることだ」と言う人もいます。
はた」とは、「周りの人」「他人」のことです。
日本人の労働観には、このように、利他主義が根底にあります。
社会や他人に対する利他的精神は、日本人特有のものと言えるかもしれません。
しかし、そこには、デメリットもあります。
「仕事がない人」や「仕事について自信のもてない人」にとっては、そのような考え方が、その人を追い詰める要因となってしまうからです。

西洋では「『働くこと』は罪であり、悪である」とされるのに対し、日本では「『働かないこと』は罪であり、悪である」とされます。
神の設計図=「天職」という考え方は、労働に対して罪の意識がない日本人が一番理解できることなのかもしれません。

とかく働き過ぎと言われる日本人は、「働くことだけが、よい生き方ではない」ということを、より深く理解する必要があるでしょう。
たまには立ち止まって、「生きる」ことについて考える「哲学的な時間」を持つことで、それが可能になることを日本人はもっと知るべきなのです。

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