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自由主義と国際主義 【慶應大学法学部・論述力試験】

 10月31日、予備校の模試・慶大プレの論述力テストで、「自由主義と国際主義」に関する問題が出題されました。
 国内的には、「商業的自由主義や制度的自由を保障しつつも、個人の自由をどう守っていくか」、対外的には、「勢力均衡という政治的現実と国際法という法的秩序維持をどう実現するか」「国家の安全保障と国民の自由主義をどう両立するか」が、論点になると考えられます。
 一般的に、この種の問題は、国家体制と市民的自由のあり方をどう考えるかによって結論が変わってきます。
 まず、民主主義的国家が、必ずしも市民の自由を保障するものではないことを理解する必要があるでしょう。それは、国家の安全保障を市民的自由統制の中でどう実現していくのかという問題であり、市民が国家とどのような関係性にあるのかが鍵となります。
 一例として、ローマ市民とローマ帝国のあり方で見てみましょう。
 ローマ市民権には、詩人ユウェナリスに「パンとサーカス」と揶揄されたように市民の最低限の生存権は保障されているのですが、国家の安全保障のために、兵役の義務がありました。ゲルマン民族との激しい戦いの中、ローマ市民は命がけで戦うことを強いられる代償として、民会での発言権と議決権の行使が許されていたのです。このように、ローマ市民の自由は、ローマ帝国を支える誇りと名誉に裏打ちされたものでした。だからこそ、民会での「発言の自由」や「言論の自由」が、国制の中で大きな役割を果たしていたのです。自由には必ず責任が伴うというのが、ローマ帝国の市民的自由のあり方だったです。
 もう一つ考えなくてはならないのが、現代の議会制民主主義国家においては立憲主義が原則であるということです。どこの国でも憲法では平和主義を掲げています。しかし、そのような国でも軍隊を保有しているという現実があります。国際連合の加盟国には、どの国にも自衛権が保証されています。国際法上、自衛権の行使が認められているからです。
 これをみても、政治的現実と立憲主義が別の問題であるということが理解できるでしょう。いくら平和的憲法を掲げていても、侵略という実力行使の前では全くの無力です。そのため、軍事権をできるだけ行使しなくても済むように、外交の中で抑止力を保つべく各国間で勢力均衡が試みられるのです。
 条約が締結されたとしても規範力をもつのは、その条約の当事国だけです。そこには、法的一般性はありません。
 このような国家間の政治的やりとりと、国内的な自由の保証、特に商業的自由の保証には直接的な関係性はありません。その結果、国政において、財政をどのように分配するかという問題に留まることになります。
 現実問題として、国内的な制度的自由の保証と、国家の安全保障や国際的法秩序の実現という問題は次元が違うものと捉えた方がよいでしょう。政治的に現実の問題をどう処理していくかということと、法制度を整備し法的秩序の安定性をどう確保するかということは、別次元の問題だからです。
 このように「政治的秩序と法的秩序は、全く別次元の問題である」という理解を示すことが、法学部の入試問題では要求されているのです。

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