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大隈重信の「短所五ヶ条」 【諫言の友・五代友厚】

薩摩藩士として幕末の動乱期をくぐり抜け、明治時代に入ってからは、破綻しかけていた大阪の経済復興に尽力していた五代友厚。
「東の渋沢、西の五代」と並び称されていることからもわかるように、明治時代における殖産興業を担った真の立役者でした。
渋沢栄一については、高校生向けの「歴史」教育でも、その輝かしい功績が紹介されるため、高名な実業家という認識をもつことができますが、五代友厚については、最近になって、やっとドラマや映画でその人となりが描かれるようになったばかりで、それほど重要人物として指導されていないという認識があるかもしれません。
これは、学習教材における五代友厚の扱いに関係しています。
わかりやすい実例として、高校時代に誰もが一度は目にする山川出版の「日本史用語集」の記述を見てみましょう。

薩摩藩出身の実業家で為替会社・通商会社の設立に寄与。
政商として彼の経営する関西貿易社が北海道開拓使官有物の払下げを受けようとして、発覚。開拓使官有物払下げ事件となった。

「日本史用語集」山川出版社

五代友厚の数ある功績の中で、何故この部分を切り取って解説しているのでしょうか。
500余りの会社を設立し、時代の変化についていくことができなかった関西の商人たちや苦しむ庶民を救ったという事実が、全く無視されているのです。
戦後の歴史教育では、政治史を中心として歴史が語られことが多く、商業の分野で社会に貢献した人物を軽視する傾向があります。
そこには何らかの意図があるのではと疑いたくなってしまうほどに、扱いの格差が存在しています。

同じく幕末から明治にかけて活躍した人物でも、三度みたび総理大臣となった大隈重信については、彼が政治家であるためか、全く扱いが異なります。
彼の功績については、歴史教育の中でも十分に教えられているため、ここで改めて説明しませんが、逆に大隈重信の人物像については、それほど紹介されることはありません。

大隈重信という人物は、烈しい覇気と闘志との持主であったにとどまらない。
性格において極度に外交的、外発的で自己主張に甚だ急であった。
これは支配への根強い欲求に通ずる。
そして、このような性格は他面からいい直せば、自己に沈潜ちんせんし、内面的充実をはかることに意を用いず、情操に乏しく、散文的であった。
これは自己の才気をたのむ者にしばしば見られる一つの性格である。

伊藤肇『人間学』(PHP研究所)P.195

大隈邸に出入りするほど親密な友であった五代友厚は、大隈の「血気さかんで奇行が多く、自ら信ずるところに驀進ばくしんして、あちこちにわざわいをもたらしていた」壮年期の様子を近くで見ていて、ヒヤヒヤしていたようです。
そこで、大隈に対して、親しい友人だからこその「忠告」をしています。

閣下の恩恵をこうむる者は
恐らく其の美を挙げて、
其の欠点を責むる者なかるべし。
今、友厚は従来の鴻恩の万分の一を報ぜん為、
閣下の短欠を述べて赤心を表す。
閣下、高明、其の失敬をじょせよ。
(以下は意訳)

第一条、
「愚説」「愚論」に我慢して耳を傾けられたい。
一をきいて十をしる、といういき方は
閣下の賢明に由来する欠点である。

第二条、
自己と同地位でない者の意見が
閣下の意見と大同小異の場合には、
常にその者の意見を賞めて、それを採用されよ。
他人の主張を賞め、他人の説を採用しなくては
閣下の徳をひろめることはできない。

第三条、
怒気、怒声をつつしまれよ。
部下が閣下に及ばぬことを知りながら、
しかも怒気を現わし、怒声を発するのは、
徳望を失うのみで何の益もない。

第四条、
時務に裁断を下すのは
時期熟するを待ってなされよ。

第五条、
閣下がある人を嫌えば、
その者も閣下を嫌うであろう。
それ故、自分の好まぬ人間とも
交際するように努められよ。

伊藤肇『人間学』(PHP研究所)P.196

五代友厚がした『忠告』をみれば、大隈の人物像もおおよそ推し量ることができるでしょう。
五代は、再三にわたって、大隈に対して忠告を繰り返したようで、大隈家には、五代からの同じ主旨の手紙が三百通以上も保存されているそうです。
その中では、「五ヶ条お忘れなく」「五ヶ条に御注意」といった言葉が幾度となく記されていました。
大隈は、五代の忠告が功を奏したのか、晩年は円満となって、誰に対しても寛容になったと言われています。

この逸話を見れば、五代友厚という人物の人間性もわかるでしょう。
仁義に篤く、寛容の精神に富んだ、懐の深い人であったことが、この手紙からも伝わってきます。

このように、中学や高校で教えられる歴史の記述だけを鵜呑みにしていては、江戸末期から明治期という激動の時代を生き抜いた人たちのことは理解できません。
学問は、一定の意図を持って編集されている教科書や公式見解に疑問を呈するところから始まると言えるかもしれません。
今までの歴史をみても、それまでの常識を疑うところから、新しい発見や発明がなされた例をいくつもあげることができます。
真実や真理を追求するために、多角的に学ぶ姿勢を常に持ち続けることは、学問をする上で欠かすことができない心構えと言えるでしょう。
特に歴史は、為政者の都合で書き換えられたり、歪められたりすることが珍しくありません。
そのため、起こった『事実』と真摯に向き合い、時代背景や地理的条件などを勘案しながら学ぶということをしていかないと、せっかくの学びの機会を無駄にしてしまう可能性があることを、常に頭の片隅に留めておく必要があるのです。




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