孔子の弟子=「冉有」の生き様に学ぶ 【『論語』の人間学】
『孔門十哲』と言われた孔子の弟子の中に、冉有という人がいました。
多芸多才で政治力があり、子路と並び称されるほどの剛勇の者でした。
そんな冉有が、孔子の怒りを買い、破門される事態がおきました。
季氏は、4代にわたって、魯の公室の政権を奪っていたことが、『論語』季氏篇や左伝昭公25年の記録を見るとわかります。
税を公室に納めず、私腹を肥やし、民を私兵として戦争をおこしたのです。
その決定的証拠となる記述が、『論語』季氏篇にあります。
季氏は顓臾の国を攻略しようとしていました。
冉有と子路は、そのことを孔子に報告しました。
孔子は、それに真っ向から反対しました。
「君たちは間違っている。」
としたのです。
ここで出てくる猛獣のトラや野牛とは、季氏のことを指しています。
箱の中の宝玉は、民の生命のことでしょう。
このような状況で、冉有は戦争することも厭わない主戦論を展開します。
このような冉有の主張の中には、孔子が教えた仁義の道というものは感じられません。
「不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如とし」
(不正な手段で得た地位や財産は、浮雲のようにはかなく頼りないものである。)
とした孔子の教えを全く踏みにじっていると言えるでしょう。
孔子は、「不義によって富や地位を得るくらいなら、あえて死を選ぶのが君子というものだ」ということを伝えたかったのかもしれません。
冉有のように、誰の目にもわかりやすく優秀な人というのは、いつの時代にもいます。
現代で言えば、スポーツ万能で学歴も高く、やる気に満ちあふれ、積極的なリーダーとなれる人材となるでしょう。
このような人であれば、どこの企業や組織でも欲しい人材です。
しかし、この種の人たちには、特有の危険性を持ち合わせています。
自己実現能力と自己プロデュース力の高さ故、自分が生きがいを得るためだけに働いていることが少なくないように思えるからです。
書店に並ぶ「自己実現」や「自己スキルアップ」のためのハウツー本が売れていることを見ても、そのような欲求をもつ人たちが増えているのでしょう。
このような人たちは、恵まれた環境の中で、次々と成功をおさめていることが多く、弱者と呼ばれる人たちの気持ちや境遇が理解できません。
自分たちは、そのような立場におかれたことがないからです。
ジョージ・オーウェルは、このような「人間らしさ」「人としての品格の高さ」「弱者への哀れみ」のことを表現するために、『Decency』という言葉を使っています。
孔子が唱えていた「仁、義、礼、智、信」の教えからみて、冉有の言動が、いかにその道からかけ離れたものであるかが理解できます。
孔子が冉有を破門したのも、当然の帰結と言えるでしょう。
このような例をみると、『論語』に登場する人物たちの生き様や言動を見ていくことで、後世の私たちが沢山のことを学べるという意味がわかっていただけるのではないでしょうか。
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