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チューベローズ

アーケードのある古い商店街

ひび割れたコンクリートの地面に

淡い光射し

慎み深いゆえ孤独を抱える女の呟きに似

有線の歌謡曲がかかり

それは透明な湖の底に流れる水音のように

美しく通りを歩く老婦の押す車に

カラカラと巻き込まれていく

魚屋の主人はトロ箱に

冴え冴えと光る氷を流し込み

もう帰ることの出来ない

遠い海をまだ見ているような青く光る魚の眼に

触れる事なく無造作に掴んでは入れ掴んでは入れし

それは深い慟哭の姿であり

その魚を品定めする老婦の眼に

硬直し鈍く輝く魚の光沢が映りこみ

それはとある一日海辺に座り見た海の輝きであり

もう届く事のない意識の端できらきらと漂っている

八百屋の主人はくたびれた葉を毟り

規格品のように真直ぐに伸びた白い大根を店先に並べ見つめる

視線の先に

降ろされたままの鈍色のシャッターに

貼られた色褪せたミュッシャのポスターがあり

遠い昔愛した女の今を傷つく事を恐れながらそっと思い

焦点はずっとずっと遠いところへと去っていく

そしてふと我に帰り

ずしりと重いかぼちゃを手に取る

靴屋の店番をする婦人はタバコを吸い

深く吸い込んだ煙は淋しさで空いた穴に

溜まって埋まる事がない

ライターをつけては消しつけては消し

点る火に

自分の持つ烈しさをかいまみ

新しい革靴の匂い

その靴で歩く男の匂い

高いヒールを履いていたあの頃のふくよかな匂いに酔い

傷つく事を怖れなくなった自身の抱える痛みに

チューベローズの甘い快楽の匂いが漂う

商店街のアーケードにも梅雨が到来し

有線の歌謡曲を子守唄とし

すくすくと育った燕の雛たちは羽を伸ばし

次々と巣から飛び立っていく

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