私と演劇

私は演劇が嫌いだ。その世界はとても綺麗で眩しく、私には合わなかった。合わせようとしなかっただけなのかもしれない。

志望校に合格出来ず、何となく選んだ公立高校。なりたいものもなりたい部活も何も無くて、なんとなく選んだのが演劇部だった。知らなかったホールの仕組み、照明や音響の世界、そして舞台にたつと照らされる自分。私はどんどん演劇の魅力に惹かれていった。

初めての大会は入部してから2ヶ月後だった。私は初心者ながら、メインキャラを頂く事が出来た。もちろん何も分からない中でだ。必死に練習した。1人で模索して、どうしたら良いのか常に考えていた。今思えばこの時が1番演劇が好きだった時期だと思う。

その大会を通し、多くの事を学んだ。自然な体の動かし方、表情の大切さ、そして自分の声は舞台でホールをするには小さいのだということ。とても悔しかった。もっと頑張ろうと思った。いつかは主役を演じられるくらい凄い役者になりたい!そう思った。

それ以降も私は様々な役を演じさせて頂いた。中でも「僕の自由帳」生徒会長『雅』役は最も印象強かった。舞台に立っている間は別人となり、私の全てが雅になる。雅はもう一人の自分のような気がして、愛おしくて堪らなかった。今思えば、雅を自分と重ね、自分のように演じてしまっていたのかもしれない。しかしそんな事に気づかない程楽しかったのだ。もっとうまい役者になりたい、もっとお客さんを楽しませたい、そう思った。

ここまで順調に演劇を楽しみ、日々成長しているように聞こえるだろう。しかし私の演劇人生は部活のメンバーの一言で一転した。「これは役じゃない。貴方自身だ。」そう言われたのだ。私が役を演じると、その子は消え失せてしまうそうだ。役の動き、話し方、その全てが貴方になっていると。勿論、動きも表情も身体の一つ一つが私だ。私だけれど、本当は私であってはいけない。よく「憑依させるとその役が降ってくる」なんて言うが、どうやったら空想の人物を憑依出来るのか教えて欲しい。この身体でも心も私のモノであり、私が動かす中でどうすれば他人になれるのだろうか。そもそも舞台に立っている時も私は自分の心を持ってしまっているからダメなのだろうか。全くの別人に芯からなるにはどうすれば良いのだろうか。全く分からなかった。誰にも訊けなかったし訊く人もいなかった。

そらから私は役者を降りた。音響にまわって、ホールの後ろから舞台を眺める立場になった。舞台で演じてる人たちは輝いていて楽しそうで、私はなぜか嫉妬してしまった。その時思ったのだ。『私は役者がやりたい。舞台に立ちたい。でも本当は役をやりたいのではない、自分を見て欲しいだけだったのだ』と。舞台に立っている間はみんなが私を見てくれる。セリフで叫ぶシーンがあれば思う存分叫べるし、泣くシーンがあれば辛いことがなくても泣ける。

私は役者なんか向いていなかった。

そう思った。自分とは異なる人物を演じるべきである人間が自分を見て欲しいなんて、なんと驚き呆れることだろうか。

私は他人になれなかった。なる努力をしなかったのかもしれない。心がある限り、私は自分の価値観で思考する。この時この役はどう思うのだろうか、どんな表情をするのだろうか、そう考えていても、その答えは私に過ぎなかったのだ。完璧に別人になれることは私には出来なかったのだ。

役者を諦めてから、演劇に興味など無くなった。演劇が好きなのではなく、自分が好きに表現していい場所が好きだったなんて、本当に馬鹿らしい。私はこの世界に居るべきではなかったのだ。

私は演劇が嫌いだ。本当は好きになりたかった。本当は才能が欲しかった。でも私には無理だと思い知った振りをしてすぐに諦めた。本当は、本当は、

ちゃんとした役者になりたかったな。

全てが嫌になって何もせずに終わらせてしまった最後の大会。何も残さず引退した自分。もう演劇と関わることはないのだろう。でも、もし過去に戻れるなら私は...




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?