内心でブチギレてるENTP

「この子は書道家なんだよ~」

知り合いの友人と初対面で挨拶する時、他己紹介でよく言われる。
そう言われる度にブチギレてる。
良かれと思って紹介してくれてるのも分かったうえでブチギレてる。

自分をこれ以上嫌いにならないように、
一旦、胸の内を一旦吐き出すべきだと思って
嫌われる覚悟で書こうと思った。

多分、私が1番なりたくない職業が書道家なんだと思う。
”家”の部分が特にきらい。
自分から名乗ればそうなってしまうところが得に受け入れられない。

ある程度書道を続けて、著名な師匠のもとについて、有名な展覧会でまぁまぁ良い成績を取れたら「名乗ってもいいんじゃないか、、?」ってなってる風潮が気持ち悪い。
決して書道家および”書道家”と名乗りたくて頑張ってる人を否定したい訳ではない。
あくまでも自分が向いているかどうかの話で、向いていないだけである。

じゃあ、何になりたいの?って話。
書道アーティスト?
一時期考えてた。でもやっぱり語感がダサすぎる。
万人受けを目指しすぎてるお絵描きにしか見えない。
書くっていうより、いい感じの言葉を、筆で、いい感じに揺らしている。
そんな自分に酔ってる人の集まりみたい。
混ざりたいと思ったことがない。

じゃあクリエイター?デザイナー?
どちらもどこかモゾモゾする語感。
現代の言葉と書道は親和性が低いのであろう。

1人のときはそんなことばっかり考えてる。
そして「自分は書道に向いていない人間なんだ」って
毎回同じオチで泣いてる。

でもふと思うのは、泣ける感情があるということは
悲しさとか悔しさがあるわけで、
本当はなりたいと思ってるけれど、うまく思いつけなくて
そうなれてない現実の自分を偏見と皮肉で塞ぎ込んでいるのではないかと。

そんな気もする。
周りの芸術界でアクティブな人たちの活動を見ていると
何かを創生してることにかっこよさを感じるし、
そう自分が消費者だと思うばかりに近づけない世界だと突き放している。

自分も、書道も、すごく中途半端な立ち位置にあると思う。
でも、書”道”って言葉になっちゃったせいで
日常と芸術の間をずっとさまよってる感じもする。
そんな、どこでも属せていそうで、どこにも属せてないのが
面白いところでもある。

ずっと書道学徒でありたい。
制作してなくても、他人の作品の批評ばっかしてても
学徒だからって許されている。

居心地がよい。
でも、あっという間に追い出される。
はやく新たな逃げ道を探さなきゃいけない。

書道家のアンチでありたい。
反感を買っても、納得せざるを得ないと思わせられる
知識と技術と感性を兼ね備えた正当な書道学徒でありたい。

「ENTPはサイコパスなんだって」
とあるシェアハウスでの会話に巻き込まれた。
勝手にカテゴライズされてることにブチギレてたけど
共感性と根拠があるから流行っているわけで。

逃げきれない中で、どこまで遠くに行けるかが
私の求めている書道であって、
結局逃げ切れないことを理解しているから
今日も穏やかにブチギレている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?