自己責任論

貧乏は親から子に連鎖する。
ネット記事などでも目にしますし、Twitterでも有名人などがそのことについて意見を発信されています。
一般的なのは自己責任論です。本人の努力の問題だろう、努力が足りていないという考えです。お金が無いと嘆くなら、寝る間を惜しんで体に鞭打って努力しろといったものです。この考えについては私も同意見です。生まれた環境による差はありますがこれは仕方ないと思います。環境や社会を言い訳にしていては一生今のままです。また、もうひとつの要素としては本人に努力を行えるだけの人間力があるかということ、つまり親の影響というのがあると思います。

一般的に子供は親の背中を見て育つものと思います。親の姿を見て、大人とはこのようなものだというイメージが形成されます。(一部ダメな親の姿を見て反面教師に出来る人もいますが...)そのため、子供の良き理想像でいることが親としては大事だと思います。仕事で帰ってきて酒を飲んで愚痴を言ってる姿を見せるのではなく、書斎やリビングで勉強をする姿というのを見せるのが良いと思います。その姿を見て努力をするのが子供の目に焼き付きます。親の姿で子供の考えや人格に大きな影響を与えます。
また、酒、たばこ、賭け事に無駄なお金を使うのではなく、子供の教育にお金を使ってあげられる器が親にあるかというのも大事です。つまりは親が十分な人間学を持っているかです。

私は小さいころから教育に投資してもらい、大学まで行くことができました。また、小さいころから道徳教育というのも熱心に施されてきたと思います。私の家は裕福とまでいえる家庭ではありませんでしたが、稼ぎのうち教育費に優先的にお金を使ってもらえました。両親はともに高卒なので子供には十分な教育を与えたいという考えが強かったと思います。自身の欲しいものは後回しで教育にお金を使ってくれたことに今では大変感謝しています。教育を受けられたこと、努力することの大切さを家庭教育で体に染み渡るまで教えられたことは今の私を形成しています。人生に不平不満が少なく、人生を楽しめているのも親のおかげだと思っています。今後は自分の子供にも同様に教育、道徳を与えるのが使命だと思います。

親に恵まれなかった人は、本人の努力で道を切り開くしかありません。しかし皆が全て努力を継続できる人ではないと思います。途中であきらめてしまう人もいると思います。ここで大切なのは自分は貧困から抜け出せなくても、せめて子供には裕福になって欲しいと思えるかどうかだと思います。教育費というのは収入が少なければ少なくなってしまいますが、道徳教育というのは収入が少なくても行えます。自分がなぜ貧困から抜け出せなかったのか分析して、子供には十分な情報や人間学を教えることが大切です。満足な道徳教育を施された子供は努力型の人間になって貧困層から抜け出せる可能性があります。貧乏なのは環境、社会のせいにしては一生その家は今の層から抜け出すことは出来ません。

人間学、道徳教育というのは現代ではあまり注目されない部分です。しかし今後はAIの発達とともに人間らしさというのを今まで以上に考えなければならない時代になると思います。AIに淘汰されないためにも、人間らしさを持った人間でいなければなりません。


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