見出し画像

#3 エッセイ/レシピの話

レシピを考える人は本当にすごいと思う。
料理もお菓子も(特にお菓子)技術を身につければどんなレシピでも作れるが、同じ方のレシピをいくつか作るとその方の好みが見えたり、レシピを見てどんな仕上がりか想像がつくこともあって楽しい。

私はコーヒー屋のお菓子を作る仕事をしている。店はそこそこ知名度はあるし、店舗もいくつかあるのだが、1人で製造をしている。カフェのスタッフと相談はするものの、開発も基本は1人でやっている。

開発をするとき、大きな声では言えないけれど、レシピは以前の勤め先のものや、本やネットで見つけたものを使う。海外の書籍やサイトのものを参考にすることもしばしば。

見かけたレシピをそのまま、ものによっては少しアレンジして、使っているオーブンのクセに合わせて温度や焼き時間を調節。焼いてみて気になるところがあれば微調整して商品として出している。


わたしが人のレシピを自分のレシピとして世に出していたら問題だけれど、人のレシピで作ったものを、そうと分からない形で商品として販売することは全く問題ない。パン屋で働いていた時の知り合いで自分のお店を開いた人が何人かいるが、皆元いた店と同じものを自分の店で出している。


というか、独立する人って皆そうなのでは?と思う。

レシピをレシピとして出すとき以外、そのオリジナリティはどうでもいいのだ。

作り方を知っていても、同じようにはならないのだから。材料・技術・道具・作り手の好み・店のブランドイメージ、それが掛け合わさると同じ手順でも別のものとしてアウトプットされる。


お菓子や料理に限らない。
デザイナーだって会社でいろはを学び、思考の仕方・アウトプットの仕方・見せ方…自分のやり方を身に付けて独立する。陶芸家だって窯元で学んで自分のアウトプットでやっていく。

レシピ、つまりノウハウをどうやって自分の中に落とし込むのか、重要なのはアウトプットの質やあり方だ。

情報過多の時代だから情報そのものには価値がない、といわれる。
結局アウトプットしないことには何も始まらない。レシピを考えられる人はレシピ自体がアウトプットなのでそこに価値がある。レシピを使う人は美味しいものをアウトプットし、自分や他者を幸せにできる。
作らない人は何も生むことができない。

レシピ本を買っても本棚が賑わうだけでお菓子は出来上がらないのだ。
だから自戒も込めて。私も発信を続けていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?