日本共産党に入って良かったこと
何度か書いているように、2023年2月に離党届を提出し、9年8ヶ月ほど続けてきた日本共産党(以下共産党と表記)の党員をやめました。
うち2016年1月から2022年10月までは専従職員を務めました。
今となっては、党中央の酷さに呆れています。しかし、だからといって、党員や専従になったこと自体は後悔していません。
色々と良かったこともありました。今回は、それについて書いてみます。
1.パワハラを止めることができた
さて、党員・専従になって一番良かったことは、当時勤務していた地区委員会でのパワハラを止める事ができた、という事でした。
そこにいたMという輩が、若手勤務員のXさんという方に、異常なパワハラを繰り返していたのです。
自分のような第三者がいるときは、行っていなかったのですが、それでも日々の言動に違和感をおぼえることはありました。
しかしながら、「ハラスメント撲滅の党」の専従職員がパワハラなどするわけない、という思いこみがあり、あまり深刻には考えていませんでした。
ところが、2017年で市長選に出ていたある日、偶然、Xさんと車で二人きりになる機会がありました。そのとき、Xさんから、Mのパワハラでノイローゼになりそう、と告白されたのです。
しかし、当時の地区委員長などにかけあっても、「Xさんは仕事ができないから」などと言って、Mの言動を正当化するだけでした。
この時点でもかなりの違和感がありました。しかし、こちらとしては、何とかパワハラを辞めさせるよりありません。
そこで、まずなるべく、XさんがMと二人きりになる状況を減らす努力をしました。
そして、自分が休みの日など、どうしてもパワハラが発生してしまうときは、その内容をすべて自分に教えてほしいとXさんにお願いしました。
そして、数カ月間、Mのパワハラ言動を記録に取り、それを当時の地区委員長につきつけました。
さすがに、具体的な証拠まで見せられたら、対処せざるをえません。
そこで、自分が最低限求めていた、MのXさんへの接触禁止を勝ち取る事ができました。
ところが、その直後に、自分が予定候補だった衆院選が始まってしまいました。
「接触禁止」は生きていますが、自分の監視がないと、MはストーカーのようにXさんに近寄ろうとしました。
また、事情を知っているはずの委員長・副委員長もそれを阻止しませんでした。
その結果、Xさんの精神状態は悪化し、ついには出勤できなくなってしまいました。
その時点で、赤旗を担当していた職員は筆者とXさんの二人でした。
日刊紙については、毎日、様々な手配が必要となります。Xさんが休職したため、それができるのは筆者だけとなりました。
その結果筆者は、毎日夜20時まで選挙カーで候補者活動をし、地区委員会で下車したら、タスキを外して、翌日の新聞を手配する、という形で、選挙終盤を闘う事になってしまいました。
そして、選挙が終わったあとも、ほぼ休み無しで働き続けました。
一ヶ月後、Xさんが復職したとき、当時の地区委員長がヘラヘラ笑いながら「共産党ではよくあることだよ」と言った場面は、5年半経った今でも、鮮明に覚えています。
いずれにせよ、もはや地区委員会に解決能力がない、という事はわかりました。
そこで、党規約第二十五条に記載されている「訴願」の制度を用いて、M並びに、かばい続けた当時の地区委員長を訴えたのです。
M本人だけだと、中央が当時の地区委員長に調査するよう指導する危険性がありました。そうすると、当然ながら、パワハラサーに寄り添った報告になってしまいます。
それを防ぎつつ、告発対象になった当時の地区委員長は、自分の地位と出世を最優先し、Mより自身を優先してかばう、という読みがあっての事でした。
そして、数ヶ月の調査の末、パワハラ行為が確定し、Mは地区委員会から異動になるとともに、出入り禁止も命じられました。
もし、自分が声を挙げなかったら、Xさんは仕事を続ける事ができなかったでしょう。
それだけに、この事は、党員・専従生活において、最も良かった事でした。
なお、当時の自分は「さすがは中央だ。正しい判断をしてくれた」と感心していました。
しかし、その後に明らかになった、草加・岐阜・杉並などの案件、そして2022年11月の小池事件、現在進行中の富田林市パワハラ事件に対する中央の対処を見れば、当時の自分が思った事が間違いであった事は明白です。
今にして思えば、訴えたときの自分の立場が、直近の国政選挙候補者という、一時的な「上級党員」だった事がこの結果をもたらしたのでは、と推察しています。
2.選挙で公約を実現できた
また、選挙に出て、公約を実現できた、というのも良かった事でした。
筆者の場合、共産党に入らなければ、選挙に出ることなどできなかったでしょう。
特に忘れられないのは、一番最初に出た2017年の千葉市長選挙です。
このとき、一番の公約に掲げたのは、市立小中学校普通教室エアコン設置でした。
当時の千葉市は、本州の政令市で唯一、設置されていなかったのです。
そのため、児童・生徒は、猛暑の学校で苦しんでいました。
選挙では、繰り返しエアコン設置の必要性を訴えました。
そのため、特に若い世代から、多くの応援をいただくことができました。
ある場所を通ったら、公園から小学生の方が4人ほど出てきて、「大野たかし頑張れ!エアコンつけて!」と声援をいただいた事は、今でも鮮明に覚えています。
また、その年の秋には衆院選に出たのですが、そのときも、「エアコンつけて!」という声援をいただきました。半年前のことを覚えていてくださったわけです。
市長選も衆院選も落選しましたが、それで終わり、というわけではありません。
その後も、様々な形で、エアコン設置運動を続けてきました。あるお祭りで、エアコン設置の署名運動を行った所、児童・生徒の方々、保護者の方々が行列を作って協力してくださった、ということもありました。
そのような市民の声、さらには共産党千葉市議団の議会論戦もあり、エアコン設置に背を向け続けてきた当時の市長も、決断せざるをえなくなりました。
当選はできませんでしたが、公約は実現できたのです。
なお、2021年の市長選挙では、無料のPCR検査の実現と、子ども医療費薬局窓口負担の廃止を主な公約として掲げました。
無料のPCR検査は、ほんの一時的ではありましたが、実現されました。また、前市長が行った子ども医療費値上げも、エアコン同様に、市民と共産党市議団の論戦の効果で、今年の8月から元に戻ることになりました。
こちらの運動は、自分はあまり関われませんでした。とはいえ、こちらの公約も実現できたのも、嬉しい事でした。
3.国政政党の代表(当時)にツイッターで絡まれた
2020年の5月初旬、コロナ禍が本格化してきたとき、大阪の維新府市政は「大阪モデル」なるものを発表しました。
すでに、「雨合羽を集める」などと間違った事ばかりやってきた維新です。ろくなものではないことは、すぐに分かりました。
そこでツイッターに
トレンドに「大阪モデル」と入っていました。 首長はテレビやSNSで目立つが公務日数・時間は少なく、防護服がなくなったら雨合羽を集め、陽性の看護師を勤務させ、現場に話さずに「専門病院」指定をし、その結果、感染者数が増えているという「絶対に真似してはいけないモデル」の事なのでしょうね。
と書き込みました。
すると、約2時間後に、当時の日本維新の会代表であり、大阪市長でもあった、松井一郎氏より、
共産党に批判されるという事は、大阪モデルは正解という事ですね。
という引用ツイートをいただきました。
ツイート内容のあまりの酷さに、吹き出してしまいました。
それもあって、
大阪モデルが間違っているかそうでないかを、まさか市長さんが私のツイートによって判断されるとは思いませんでした。 思わず吹き出してしまいましたが、政策の検証は、さすがにもっと慎重かつ論理的にやったほうがいいのではないでしょうか。 「大阪モデル」によほど自信がないのだな、と思いました。
と返信しておきました。
さらに、このやり取りを見た、雑誌「女性自身」が記事にしてくれました。
さらにそれが一時は有名ポータルサイトのトップに掲載されたとのことでした。
議員でもない筆者のツイートに、迅速かつ、嗤える反応をした松井氏には色々な意味で驚かされました。
いずれにせよ、このような事が生じたのも、当時の筆者が共産党員だったからなわけです。
ある意味、「共産党員特権」とでも言える経験ができたと思っています。
4.たくさんの貴重な出会い
また、共産党を通じて、党員でない方も含め、多くの人と出会う事ができました。
残念ながら、離党したことなどもあり、今後は縁遠くなる党員の方々も多々いるでしょう。
しかしながら、離党した時にねぎらってくださった方、離党後も励ましの言葉をかけたり、ツイッターをRT・いいねして下さる方、自分が出た選挙での演説を覚えていた人がいたことを教えてくださった方など、今でも嬉しい経験をたくさんしています。
また、共産党での活動がきっかけで、素晴らしい見識を持った市民の方々と知り合えたのも貴重な経験でした。
いずれの方も、政治をよくしようと頑張っています。党員の方におきましては、今後も、歩く道は違ってしまいましたが、より一層ご活躍をしてくださる事を願っています。
5.共産党中央の「真の目的」を知ることができた
筆者が共産党支持者になったのは10代のときでした。
選挙権を持ってから全ての選挙で、公認・推薦候補者に投票し続けてきました。
そして20代なかばの時に赤旗を取り始め、その数年後に後援会に入り、40代なかばで入党しました。
その間、ずっと、共産党は、「資本主義を終わらせて、平等で平和な社会を作る事を目的にしている政党」と信じていました。
しかし、10年弱の党員経験と、8年弱の専従経験により、それが根本から間違っていた事を理解することができました。
もちろん、地域で活動されている党員や地方議員の方々の多くは、本気で資本主義を終わらせようと考えていると思います。
しかし、党を動かしている中央はそうでない、ということを今では断言できます。
残念ではありますが、これも、党員・専従にならなければ一生理解できなかったでしょう。
なお、では共産党中央の「真の目的」が何だったか、ですが、それについては、何回かに分けて書きます。
まずは、「党中央は選挙に勝つ気はない」という事です。
綱領に「日本共産党と統一戦線の勢力が、積極的に国会の議席を占め、国会外の運動と結びついてたたかうことは、国民の要求の実現にとっても、また変革の事業の前進にとっても、重要である。」と、選挙で議席を増やすことによって社会を変えようと書いてあります。
しかし、それを実現する気は中央にはない、という事実から書いていきます。
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