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年末の粗雑な追悼が始まる前に…

僕は坂本龍一という人がずっと苦手で…。

そもそもYMOが、直撃世代にもかかわらずダメだった。

周りで聴いてるヤツらはYMOやスネークマンショー(ここでのふざけ方もとても苦手だった。今も面白いとはまったく思えない。バックの音楽は結構イイよなとは何も知らないまま感じていたけど。)に夢中になりながらも、同時期に流行った英国の姉妹によるたわいのないポップス(故に魅力があるのだと気づかせてくれたのは、橋本徹さんが主宰して過去の音源を発掘を進める中で、フリーソウルという新しい価値観を発見して、そこでまとめられたものを次々と発表していったアルバムによって、だったけど)を歌うノーランズというグループや、人によってはツッパリをウリにした横浜銀蝿と一緒くたに聴いていたのだから、基準も何もなくその時の流行りものを聴いてるだけの同世代の中学生たちに心底呆れて、俺はそっちには絶対行かないと決めてしまったからだ。

しかし、YMOの影響は大きくさすがに完全に無視することは難しかった。

友人から矢野顕子さんのアルバムを借りて、バックはほぼYMOでぴこぴこ演ってたにもかかわらず、コレはいいものだよなぁと過去を遡って聴いたり、何を考えているのかわからず不気味な印象のあった細野さんはともかく、高橋ユキヒロさんはスタイリッシュで重いものを感じさせないセンスのよい音楽をソロで発表して、これなら面倒なことに囚われず聴けるとかなり愛聴したりもした。

しかしながら、坂本龍一はね…。

確かに強い存在感はあった。

(大島渚という人の凄さは、坂本とビートたけしとデビッド・ボウイでカンヌのグランプリを取るぜという意気込みを隠さなかったことに対して圧倒されるように感じた。
役者としてど素人だった坂本とたけしの魅力を存分に引き出しているトレーラーを観ただけのまま、坂本龍一が苦手故に本編を観ることなく今に至るが、これはすごいことをしていると素直に感じたものだった。)

世間的にはほぼ同時期に知られることとなった浅田彰との息の合った対談は、どれも途轍もなく面白くて確かに高踏的だったりするけど、言っていることは自分の考えるところからして間違いじゃないと、その後ライフワークのように追いかけ続けた。

忌野清志郎とのコラボレーションはまぁあんなもんだろとそれほどの嫌悪感もなく受け止めていたし、坂本と終生の友となっていくデビッド・シルビアンがリーダーをしていた英国のJAPANというバンドは、解散公演の大トリとなった名古屋市の鶴舞にある歴史的建造物でもある公会堂まで観に行くほどのファンでもあった。

一方で、活動停止後に散発的に集まるYMOの三人が好んでやっていたコント方面は当時からむーりーとしか思えなかったし、斜視気味のツラがそもそも気に入らない。

教授と呼ばれていたのも、対談ではどんな話題でもリードしたのは常に浅田彰だったから、それほどのものかねとしか思えず、つくば科学博で原田大三郎たちが発表した、米軍が上空から撮影した、広島市に投下した原爆が大爆発を引き起こしてキノコ雲が広がって行く様の始終を収めたフイルムを、勝手に切り取って繰り返し流した映像に対して「花が咲くようで綺麗」と抜かしたから、いずれコイツは殺してやらねばならんと誓うほどの怒りも感じた。

といったことはあったけど、今にして思えば僕が見つけたり導かれたりしたその先にはだいたい坂本龍一がいつも既にいて、生意気盛りの若僧だったからコイツは気に入らんとなったに過ぎなかったのだと感じないでもないから、こればかりは言いがかりに近い感情的なものがあり、それが理由で彼が亡くなるまで極力関わらないようになるほど拗らせたというあたりが本当のところなのかもしれない。

事実、『戦メリ』の旋律の美しさは、生意気という一点だけなら実は共通していた坂本が「演歌みたいで嫌い」と言っていたと今年になって知ったが、抗えることのできない魅力があり、盟友のデビッド・シルビアンが詞をつけて発表された『フォービデン・カラーズ』は、僕がボーカルをやると宣言して組んだ学祭バンドでカバーするほどだったし、『エナジー・フロー』がヒットチャートを駆け上がって行くのも「理屈の人間が癒しをするな」とまともに聴く前から拒絶したものの、自死した父の建築リフォーム会社を引き継ぎいだ30歳前後の頃に、その仕事先のお宅でたまたま流れているのをようやくにして初めてまともに聴いたら、癒しどころか極めて理知的な曲だったと気づかされて腑に落ちたということも経験したりと、全否定していたはずのつもりでも彼の才能は嫌でも届くほどのものではあり、浅田彰との対談にしても、気分の赴くままの雑談ながらもモノを知らなきゃコメント一つできないほどの広範なジャンルに及ぶ高度な知識がなければできないシロモノで、年下の対談相手にいつもリードを許していたにせよ、よく考えたら彼は本来音楽演ってる人なんだよなぁと感心したりと、付かず離れず注意しながらも評価すべきところは評価すべきと接してきた。

最も驚いたのは、高校生で知った当時ミュージックマガジンの主要な執筆者の一人でもあった #竹田賢一 さんが主宰する極左音楽ユニットのA-Muzikが唯一発表したアルバムのクレジットに坂本の名前を見つけた時で、結構な数の犠牲者を出した「テロリスト」の東アジア反日武装戦線に対して平然と連帯を表明するような内容だったから、苦手であっても安易に否定することはできない御仁なのだとそこで初めて認めざるを得なくなり、しかもそのアルバムは「胸キュン」でオリコン一位を狙っていた年に発表されたもので、今から振り返るとよーやるよな…という彼の過激な側面を見せてくれていたのだけど、しかしダウンタウンに出来の悪いふざけた曲を提供して心底センスねーなと呆れたり(後にあれは間違いだったと彼は述べたと知ったのも今年に入ってからだ)、僕の中での坂本龍一の評価軸は常にずっと揺れ続けていた。
環境運動に関わりだし始めても、今更かよとしか思えなかったしね。

そして311があり、原発反対を明確に表明すると共に、「福島をはじめとする東北の被災地域の復興」にのめり込むように尽力するのを見て、いやしかし単純に考えてそこは人が住んではいけないところになったのに復興も何もないと僕は考えていたから、現代音楽に近接したフリージャズを演っていた師匠の高柳昌之さんとケンカ別れした福島市出身の大友良英が感情的に叫ぶ「福島復興」に安易に乗っかるようにしか見えなかった彼とのフリーセッションも含めて、坂本の一連の動向には到底賛同できかねた。

今度は生意気な高校生の頃の反発心からではなく、自分なりに知るべきことを学び判断していく中で、「そもそもあれだけの事故を起こしても復興したら住み続けられるというなら原発に反対する理由もないだろう」という明確な軸を持って311に関するあらゆる言説や表現に対して判断するようになってのことだから、もう僕とは異なる方向に行ったのだと結論せざるを得なかったし、故にもう彼とはほぼ永遠に関わることもないし、敢えて積極的に関わろうとすることすらやめておくべきとしてきた。

しかしそれでも、「復興支援」という名目がなければ決して製作されなかっただろうNHKの大河ドラマ『八重の桜』は、維新政府に徹底抗戦した会津の苦難を描いた作品で、ドラマとしての完成度も頭抜けて高く僕はすべての回を毎週日曜日の夜八時に観ていたが、坂本が作曲したこのドラマのテーマ曲は過度な感傷に落ちず、しかし会津の苦難の近現代史を踏まえた重厚な表現が盛り込まれて極めて完成度が高いと評価すべきものだったから、これは「音楽としてならば別枠」として自分の中では初めてと言ってもいいほど好意的に坂本龍一を理解することができたりもした。

彼の死が近いと報道等で知り、いやしかしあれだけ被災直後から東北に通っていたんだから当然の帰結としてそういう結末にもなるわなと一番に感じたものの、いざお亡くなりになったとなると、現在の本邦では彼のような表現者は皆無になっていたと気づかされて、そこから猛烈に坂本龍一の仕事を掘り返しては感銘を受ける日々が続いた。

あり余る時間を得た名古屋拘置所の独房で、浅田彰とのグレン・グールドを巡る対談を飽きるほど読んで、それでもまた繰り返し何度も読み直し、バッハとは、クラシックとは凡そこんなものなのかなという感触を掴んで、出所後にそちらの方面も聴きながら彼の西洋音楽に対して考えるところを追いかけると、理知的な筋の通ったその理解はたいへん説得力の高いもので、自分語りに堕する傾向もあるくだらないクラシック批評とは別次元で、苦手としてきたこのジャンルについて大いに教えてくれもした。

生意気な若僧が反発するにも相応しい「人物」であり、長じてからも僕にとって坂本龍一はずっと居て当たり前の表現者であり続けた。
その振り幅のあまりの広さも知的なレベルの高さも含めて。

坂本龍一のいない世界は、彼に頼ることも依存することもなく、すべて自分の判断で物事をきちんと考え抜くところなのだと、彼の業績や発言を深く知っていくに連れ覚悟は決まっていった。
まさに彼がそうしたように、何に対しても阿ることなくやらねばならないと、今もこれから先もずっとよき手本として彼を参照していくことになることはほぼ間違いない。

でも、「復興支援」は筋が違っていたとは今も思うけどね。

(東北の方でご気分を害されたなら、その点に関してはたいへん申し訳ない記事になっています。
ただ、アルプス処理水の問題に典型的に見られるように、311以降見たくない感じたくないものは避けたいという、ひどいトラウマ経験について回る当然の感傷は、日本人から冷静に考えて判断する力をどんどん奪っているとも僕は感じています。
坂本龍一ならば、公言せずともそれを良しとはしなかったと考えるので、賛否の分かれる内容が含まれていることを承知で尚当記事を書いていることをご理解ください。)

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