40 翼ふたたび

余計な荷物を全部捨ててしまっても、人生には残るものがある。

それは気持ちよく晴れた空や、吹き寄せる風や、大切な人のひと言といった、ごく当たり前のかんたんなことばかりだ。

そうした「かんたん」を頼りに生きていけば、幸せは誰にでも手の届くところにあるはずだ。


僕は小説を読むときに、心に刺さった文章をメモし、自分一人だけのライングループに送信する。さっき見返してみたところ、自分を励ましてくれるような文章はこれだけだった。

これは、酒、タバコ、ギャンブルを好む、結婚もせずに自由気ままなシンプルな生活をしている同僚をみて、主人公が心のうちに思った言葉だ。ちなみに、この同僚は後に結婚するのだが、その告白シーンはこの物語の見どころの一つで、泣けない人はいないと思う。僕は社員食堂で人目もはばからず少しだけ泣いた。


この言葉通りに、余計な荷物をすべて捨てたとして、僕には何が残るのだろう。想像してみる。

大都会のど真ん中、例えば渋谷のスクランブル交差点、例えば夜のライトアップされた浅草寺、それらの場所で僕と恋人が二人で向き合っている。僕ら以外には誰もいない世界。外では手も繋ぐことのできない人生だった僕は、その人と手を繋いで街を歩く。普通のカップルが当たり前のようにしていることを、誰の目も気にすることなくする。

これが、僕の中の不要なものを取っ払った結果、底の方に沈殿していたイメージ。僕の周りは不要なものばかりらしい。


物語の中盤に、高校を中退してから40歳になるまで自分の部屋に引きこもっていた中年男性が出てくる。主人公が外に出すために説得していく中で、中年男性は夢を語った。

中年男性「春でも夏でもいい。暖かい季節の夜に外に出る。それでひとりで夜の街を散歩するんだ」

主人公「それができたら、つぎはないのかな」

中年男性「いつか女の子と手をつないでみたい。映画を見たり、ソフトクリームを食べたりしてみたい。」


僕と同じだった。

狭い部屋に閉じ込められ続けたら、外の世界の当たり前が、必要以上に価値あるものに見えてしまう。でも仮に、狭い部屋からでて夢をかなえても、いつの間にかその部屋は狭く思えてきてしまう。歳を取って狭いと思っている部屋から出なくなるのは、そのルーティンに飽き飽きしたからなのだろう。

この本はこんな僕のような考え方の人の背中を、ちょっぴり押してくれる。

「人生の半分が終わってしまった。それも、いい方の半分が」

なんて背表紙には書いてあるが、40歳からの色々な形の夢を見せてくれた。

外で恋人と手を繋いでみよう


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