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生きるの楽しい(人生振り返り)

こんばんは、お赤飯です。緊急事態宣言が延長ということで、私の休業はどうなるのか…会社からの連絡はまだないのですが、頼むから働かせてくれと祈りつつベッドでゴロゴロしています。
人はこうして堕落していくんだなぁ。

生きてるだけで丸儲け

皆さんは、人生楽しんでおられますでしょうか?大変なことも辛いことも多いけど、プラスマイナスどうなのかは人それぞれ。

私はというと、とてもとても毎日楽しいし幸せです。

綺麗事じゃなく生きてるだけで丸儲け。

さすがは明石家さんまさん。関西人はなんでも損得とお金と儲け話にしてしまうんだから。そこがいいとこでもあるんだけど。

これは、正直生きてるだけで丸儲けできてる人しか頷けないと思います。生きてるだけで辛くて本当に絶望の淵にいる人や、想像もできない環境の人も沢山いると思うから。

私は丸儲けしてる人間だと思うので、本当に毎日感謝しないといけないです。健康で、外見も人として社会で生きていけるレベル、家族も恋人も友人もいて仕事もできてて。

貧乏なこととか、家族の人間関係に少し難ありとか、祖父母の介護のこととか、上司との折り合いとか。

そんな誰でもが抱くささいな悩みしかない幸せな部類の人間だと思います。しかも、私は病的な飽き性で深く悩んだり落ち込むことが苦手です。これは良いことだけではないので弊害も多いけど、この悩み多き時代にいちいち悩んでたら病んでしまうので良しとしています(えぇ…)。

いやー、ほんと生きてるだけで丸儲けです。

辛い時期もある

そんな私ですが、人生で最も辛い3年間が中学校のときでした。

小学校では優等生だったのですが、中学年あたりから早めにオタクに目覚めだしたこと。子供特有の自信過剰によるゴリ押し優等生が辛くなってきたことが重なり、中学入学と同時に急にハイパースペクタクル陰キャオタクへと進化を遂げてしまいました。

あのときポケモンならBボタン連打で進化を止めていたところですが、私はもうコイキングからギャラドスくらいの進化を遂げてしまったんですね…。

運動もできず、生理不順やらなんやらで浮腫みと肥満で酷い容姿のオタクです。

オシャレでスクールカーストが上位のギャルな子たちからはイジメられ、同じオタク仲間だと思っていたグループからも外され孤独な3年間を過ごしました。このオタク仲間での仲間外れは未だに謎なんですけどね。何かしちゃったのか心当たりはないけど、まぁ、それだけ私はキモかったんだと今なら思えます。

いちおう、書いておきますとイジメを容認したりしているわけではありません。でも、当時の私には確実に虐められる原因があったし相当目つきもやばかったし、人を見下すことでしか己を保てなかった為世界すべてが敵だと生きていたので、あちらにはあちらの言い分があったのだと思います。
こんなふうに思えるのも大人になって色々なことを知り体験したからです。

そこはお花畑

辛くも孤独な3年を過ごした私はイジメをしていたグループの人たちと同じ高校に行くことを避けるため、そこそこ勉強に力を入れました。

家から徒歩で通える範囲で一番賢い高校に受かると、晴れて春から高校生。

またあんな想いをするのか、どんなクラスなのか、不安だらけで大雨の入学式に出たのを覚えています。

結論から言えば高校生活は中学校とは打って変わっての人生の春の始まりでした。

中学校の卒業式の日、私は卒業アルバムと体育館シューズを通学カバンに入れて焼却炉に捨てて帰りました(制服は妹が使うから捨てるなと言われていたので仕方なく着て帰った)。

高校の卒業式の日、私たちは後輩に飴玉を投げつけながら(そんな伝統はありません、私たちが勝手にやっただけ)号泣して抱き合いました。そのあとは写真を死ぬほど撮って、カラオケにいってプリクラを撮って、ハーバーランドでビュッフェを食べて卒業旅行にもいって…。

人の人生なんてほんとうにわずかの時間で変わるものだと。そんな三年間でした。

今でも付き合いのある友人は圧倒的に高校の友達が多いです。結婚したり母になったりバツイチになったりオタクを極めたりと様々ですが、皆今も変わらず仲良し。

中学校卒業の日と、高校入学の日の私の心も顔つきもオタク度も何も変わっていなかったのに、周りの人間が変わっただけで全てが変わりました。あれは本当に皆が優しくていい子だったからで、私が何かをして変わったわけではありませんでした。

それでも人生には小さいものから大きいものまで、そうしたキッカケや変化へのヒントが転がっていてそれを見つけたり手にしたり出来たとき不幸は一瞬で吹き飛んで自分も周りも変わったりすることがあるのです。
あの3年間と周りの人には感謝しかありません。ほんとうに。

人生山あり谷あり滝あり草原あり地底湖あり

人間なんてメンタルの生き物だと思っている私です。高校卒業からはパティシエという夢を追う自分に酔うことも後押しして、一気に陽キャモードに切り替わりました。

外見は特に変わらず(むしろ人生で一番太ってた)、オタクにも磨きがかかり、まだ働いてもないくせに職人気取りで生意気。

中学校時代よりどう見ても条件は悪化していますが、それでも楽しそうにしているだけで悪意を持って接してくる人は減るものです。

同じ夢をもつ友達に囲まれ勘違いを加速させつつ、それをバイト先の人や先生に生暖かく見守ってもらう生活は穏やかな登山ともいてない人生のピクニックでした。そんなピクニックも一年間だけの特別な時間。だからこそ、皆優しく呆れつつ見守ってくれたのでしょうが。短く濃い時間となりました。

ピクニックも終わり、就職というイベントを迎えるとこれまた人生の風向きが変わり始めました。

まず、純粋に忙しく脳がものを考える時間が減りました。

あんなに好きだったアニメも漫画も追えなくなり、グッズも買えず、小学校3年生から始まったオタク人生初めての活動休止のお知らせが届いたのです。

そして、大学に行ったりしている友人とも疎遠になっていきました。朝早くから夜遅くまで働いて週一休み。休みは夕方まで寝てしまうので、遊んだりする余裕なんてありませんでしたからね。

それでも、初めてのことだらけの日々に徐々に楽しさを感じながら忙しいことにも快感物質が出るようになり、それなりに人生の山を登っていたところでした。ここまでは。

地元で一番の六甲山の中腹に来たあたりですかね。

ある日私は深海の底の底へと落ちていきました。

辛すぎると記憶を失う

小さな本格イタリアンに転職した私は、ここから一年間の記憶をほぼ失っていました。10年ほどたち、ようやく冷静に思い返せますが最近までトラウマというやつなのか思い出すことを避けていました。

月500時間弱の労働、低賃金(バイトさんのほうが貰ってた疑惑…)、1日1食のまかない。刑務所のほうがいい暮らししてました、本当に。

いいこともたくさんありました。この辺のことは別の日記で書こうと思っていますが、凄い経験だったと思います。

この頃の私には楽しいとかそういう感情は存在しませんでした。オタクも辞めて久しかったけど、前のときにはそれでも興味が消えたわけじゃなかったし。業界内での友人は出来てきて飲みに行ったりもしていました。

でもこの一年は何もなかったのです。

ただ、お腹が空いて眠くて体が痛くてお股が痒くて(後で考えたらガンジダだろうな)、それしかありませんでした。

色々あって、ここを辞めたとき久しぶりに母に会ってご飯を作ってもらったときに泣いたのが久々の感情でした。ご飯も好きなだけ食べてよく寝たら、なんかここでの生活をうまく思い出せなくなっていたんです。

本当に、人生の深海に沈んで音も光もない時間でした。

深海からこんにちは

若かったので、体は少し患いつつも転職をして働くうちに元気を取り戻していきました。
同じ業界だけど、少し担当の違う仕事についた私はそこから現在まで人生の春を堪能していくことになります。

お酒が好きな私は、仕事や時間に余裕ができてくると一人で飲みに出かけることを覚えました。
今も付き合いのあるお店がいくつかありますが、日本酒とご飯が美味しくて女性の一人飲みが出来るお店が増えてきていたそんな時代でした。

そこで出会った同年代のお客さん同士仲良くなり、フットサルやバーベキューなどをするようになると学生時代にはなかった楽しさや充実感が私に与えられました。

多分学生時代には仲良くなれなかった人(中学時代なんかだと私が怯えていた人たちとか)とも、酒と仕事の愚痴と恋愛的下心さえあれば仲良くなれる。
それは、社会人になった私たちの程々の無関心と距離感のとり方がそうさせるのでしょう。大人になると明らかに友達のタイプが学生の頃よりも増えたのです。

恋もしたり、仲間内で二股して揉めたり、そんなことをしていると結婚する二人が出てきたり。

仕事だけじゃない付き合いの中で、人生が楽しくなっていくのを今も現在進行系で感じています。

出会いラッシュ

三十路も間近ってところで、人生の出会いラッシュがありました。

私の人生に大きく影響した酒豪の女友達二人とは近所の汚い飲み屋で知り合いました。

今の彼氏とはネットを通じて知り合いましたが、結婚願望もないワガママで偏屈でキモオタな私とこんなに長く付き合ってくれる人と出会えるとは露ほども思っていなかったのでビックリです。

今の一つ前の職場では、これまでで一番信頼できて今後もなにかあれば一緒に働きたい、こんなに凄くていい子がいるのかという後輩に出会いました。好きすぎて会話のほぼがこの子だった時期もあるほど(女同士だから浮気じゃないよ!)。

三十路になることをなんとなく怯えていた20代の私。

そりゃ、女に生まれたからには無条件に加齢には抵抗感があるものです。いつまでも若くいたいし可愛くいたい。

でも、蓋を開ければ三十路からがめっっっちゃくちゃ楽しいでは無いですか!

どういう人と付き合って、どういう仕事をして、どういう人生を歩みたいか。
そういうことへのこれまでの積み重ねが少しずつ答えとして返ってきている…そんな気がしてなりません。

私はただ平和に楽しく揉め事なく生きていたい。でもこれが凄く難しいことを知ってきました。

楽しくあるためには、その反対の感情も必要であったり。周りの人や健康やお金といった色々な要因が揃わないといけなかったり。

しんどい仕事の後のビールが最高なように、辛いことを頑張ったり我慢した経験があるからそこ楽しいことも映えてくる。

未だに仕事で辛いことがあって帰って泣くこともあります。怒りで言えないようなことを思うこともあります。ボッコボコにしたろかって人もいるし、思い通りにいかなくてキーーーーッてなることもある。

でも仕事も楽しいし。皆優しいし。家族も彼氏も大事だし。趣味もオタクも楽しいし。

大体のことなんて酒飲みながらプロレス見てたら忘れられるしね。こんなに長く書いてて、結局言いたいのは生きてるってすごいことですわってこと。

幸せは自分の中というより自分が今までに集めてきたパーツの組み合わせにあるんだと思うな。

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