SNSとマスメディアの違い

昨日(2020年1月6日)の午前中、元衆議院議員の三宅雪子氏が亡くなったという報道があり、ツイッターのトレンドに出ていた。

その午後、新宿駅南口の歩道橋で首吊り自殺をした個人のことが同じくツイッターのトレンドで話題になっていた。こちらの方は、それを携帯機器で撮影している群衆の話や、それをネットに上げている者に対する批判など、自殺以外のところでも話題になっているようだった印象を受ける。

ツイッターだけを観ている人であれば、どちらも大事で、同じようなニュース価値があると思うかもしれない。

後者は自殺そのものに対するツイートというよりも、それを取り巻く群衆の行動やネットリテラシーの低さを批判するものが多かったのが、まだ救われる余地はあるとは思うが、それらの批判されるような行動を取る者たちが一定数いるという暗い現実を突きつけてくる。

WEB上に自殺者の写真や動画を上げて注目を集めたい心理はどういうものなのだろうか? ただ単に世間の注目を浴びて嬉しいだけか? 承認欲求が満たされるということか? 自殺そのものには無関心で、ただただアドバルーンとして打ち上げただけの奴もいるだろう。それによって自分が運営するWEBサイトへ誘導し、なんらかの金銭的な欲求を満たす目的の者もいる。

価値観の違いと言われればそれまでかもしれないが、倫理観の欠如したこれらの行動は非難されて当然のことだと思う。また実際、トレンドに流れるツイートを観ていても、写真や動画をWEBに上げる莫迦を批判する意見が多数派だったのはひと安心するところではある。

去年(2019年)の5月には大阪の梅田で女性の飛び降り自殺があり、そこでも今回と同様に携帯機器で撮影する者やWEBにそれを上げる莫迦が後を絶たなかった。

そういうことを無意識にやってしまうのは、ある種、感性が欠けているとか倫理観が欠如している特別な種類のニンゲンがやることとは限らず、ごくふつうの一般的なものでもやっているという恐ろしさ。

金銭が入るわけでもないのに、自己満足のためだけにそういう行為をしてしまうのが、私などは信じられない。

褒められはしないが、まだアクセス数稼ぎで自己サイトへ誘導する目的でそれらの行為をやっている方がマシだともいえる。もちろんそれさえ唾棄すべきものだとは思うが。

個人がそういう行為をするなら、営利企業であるマスコミがどうしているかが気になって、簡単にチェックしてみた。

私はツイッターのリストに34社のマスコミお登録しているのだが、そのツイートを昨日の朝から夕方まで全部チェックしてみた。

三宅元議員のことは各社報道があったが、新宿首吊りに関してはどこにも一切出てこなかった。もちろんツイートせずにWEB版のどこかに上げている可能性は否定できないが、WEBページをチェックした五大紙にはその報道は見当たらなかった。

元議員の場合公共性が認められるから報道されるのは普通だと思われるが、一市民の自殺などは日本だけで年間3万人もいるわけで、日常茶飯事であり、いちいち報道するまでもないのかもしれない。

仕事初めの白昼の繁華街で起きたことでもあり、話題性は充分あったと思われるのにマスコミ各社が取り上げず、ツイッター界隈だけで大騒ぎになったのはなぜか?

それこそが上述の倫理観なのではないかとも思っている。昨今のマスコミは偏向報道と言われたり、忖度していると言われたり、加害者に優しく被害者に厳しいなどと叩かれることもあるが、この新宿自殺に関しては、素人のSNSユーザーとプロの倫理意識の違いが大きく出たのではないかとも思っている。

ただし、まったく触れないのもどうなのかとは思う。

梅田の件にしても今回の新宿にしても、群衆の行動の異常さを取り上げたり、ネットリテラシーの問題に警鐘を鳴らすくらいのことはやっても好かったのではないだろうか。

この何年か表現の自由の問題が言われて久しい。しかし、なんでも表現できるというのは違うということを認識・啓蒙させるのも、マスメディアとしての役割なのだと思う。


ここまで御注視いただき、ありがとうございます。まだ対価をいただくほどの作品を挙げていないのですが、ご好意はありがたくいただきます。