見出し画像

【思い出】美味しいものは手づかみ


西梅田での邂逅

向かいから歩いてきた人

かつて私は大阪に住んでいたことがあります。初めて親元を離れ、それは大層楽しかったものです。
その折に少しだけ、街頭で「募金お願いしまーす」という人をやっていた時期があります。
駅前とかに立ってるあの人、みたことあります?あれはいつかの私です。
その日も業務が終わり、事務所に戻ってフィードバックを済ませて帰路に着きました。西梅田から地下鉄に乗って帰ろうかと思った矢先のことです。

すれ違いざまに若い男性から声をかけられました。「ここに行きたいんですけど…」とスマホの画面を私に見せて。
別に地元民でも土地勘があるわけでもないので逡巡したのですが、生来困っている人は放って置けない性分なものでつい「どうしましたか」と言ってしまいました。

そうして覗き込んだスマホは古代の宝の地図みたいでした。知らない言語が並んでいるだけで遺跡の発掘物みたいに見えてしまうから不思議なものです。

「あの、失礼ですがどちらからいらっしゃいました?」
「アーワタシベトナムカラキマシタ」

やられた。

罠じゃん

なんで最初の一言だけめっちゃ流暢やねん、騙された。
いや別に、だから道案内なんてしてやんないよ、みたいなことではないのだがなんかこう、わかります?
すごく日本人みたいな雰囲気を醸し出してからのベトナムCOはちょっと面食らうじゃないですか。

誰も悪くない若干の不服を感じながらどこに行きたいのかを聞いて、乗るべき電車を伝えて改札の前まで案内しました。
「じゃあ私はこれで」
「コレドウヤッテハイル?」

は?どうやって大阪まで辿り着いたんだこの人。急に生えてきたんか?
乗りかかった船とはこのことなので、私も一緒に乗ることにしました。
つくづくお人好しですね。

二人旅は突然に

みなさんご存知でしょうか、ベトナムの方は別に英語を標準で話せるわけではないとのことで。つまり双方が理解できる語彙がほぼありません。
あの時ほどGoogle翻訳を頼りに感じたことはないです。電車の一角でスマホを見せ合いながら日本語とベトナム語で話す若い男二人。さぞ奇異に見えていたことでしょう。
彼は道中、「エイゴムズカシイヨ」と言っていました。私もそう思う。

曰く、日本で働いている友達がいて、その友達に会いに来たと。
素敵やん。願わくはその友達にはもう少し詳しい案内をしておいて欲しかった。
今から友達に会いに行くんだと語る彼の目はとても輝いていました。
ついてきて良かったなと思いました。

そう簡単に帰れると思うなよ

あなたはbạn

道中彼が私に教えてくれた言葉です。
ベトナム語で、「友達」という意味だそうです。早くないか?
「アナタモウトモダチ、イッショニゴハンタベル?」
そうはならんやろ。ツッコミどころが多すぎる。
結局降りたホームで別れること叶わず、そのまま一緒に改札を出ました。

友達の家まではマップを見ればわかるというので今度は私が案内されることに。すると彼がおもむろにFaceTimeを起動。
友達とビデオ通話を始めたじゃないですか。もうすぐつくよーみたいな。

久々の再会だろうから邪魔しないでおこうと思って気を抜いていたら急に私の方に画面が向けられました。
「コノヒトトモダチ、ミチオシエテクレタ」
いやどんな顔すればええねん。ほらお友達も困った顔してるよ?

思ったよりいる

そんなこんなでお友達宅に到着しちゃいました。
あれ?ほんとにご飯食べる流れ?とか混乱してる間に椅子を出され着席。
我ながら順応が早いな。

てかなんか人多くないか。友達一人かと思ったら3人くらいいるやん。
友達いっぱいいていいことだ。

「シンセツナニホンノヒトアリガト」
午後ティーのでかいペットボトルどーん。
「あぁいえ、おかまいなく(みんなでコップ入れて分けるんかな)」
「ハイミンナモ」
それぞれの手元にどーん。

飲みきらんて。逸般の誤家庭だろこれ。
暑かったから嬉しいけど。いただきます。

「アリガトウ、ユックリシテ」
ちょっと日本語が上手な男の子がいた!多分同い年か年下。
助かった。彼に助けてもらおう。

「あの、ご飯食べる流れになったんですけど…大丈夫?」
「イイヨイイヨ、ミンナデタベタホウガイイ」

スタンスは一緒だった。

思ったよりいる!

「マダトモダチクル」
とは聞いていたものの。
最終的私含めて10人くらいになりました。日本人率驚異の1割。
アウェーにも程がある。大丈夫かな、バラバラにして臓器売られたりしないかな。

いろんなベトナム人がいた。当たり前だけど。
新婚ホヤホヤの二人とか。奥さんの方がご飯作ってくれてた。
めっちゃ無口な女の子とか。ご飯作るお手伝いしてた。
アニメが好きな男の子もいた。進撃の巨人が好きらしい。

なんの仕事してるのかとか、そもそも名前も知らない(聞き取れない)人たちとワイワイ話している状況、カオスじゃないですか?
ベトナム人同士で話すときはもちろんベトナム語です。

だから何言ってるか全くわかりません。日本語得意な子がちょっと翻訳してくれたりすると大体日本か私のこと褒めてる。嬉しい。

郷に入りては

言葉なんていらない

何言ってるか分からなくたって私のことをもてなしてくれていることはわかりました。こちらも多少ベトナム語が話せたら良かったのですが、いかんせん発音が難しすぎる。すまん。

でもなんとなくわかりました。
日本のこと好きなんだなぁ。
私を歓迎してくれているなぁ。
ご飯できたなぁ…お、ご飯できたやん。

ちなみに手伝おうかと申し出ましたが、「アナタスワッテテ」と全員に制されました。ほんとにいいの?

完成した料理は魚が丸ごと入った辛そうな見た目の鍋料理と生乾きの春雨みたいな麺。ワイルドぉ…

一応、なんて名前の料理?と聞きましたが、よくわかりませんでした。
聞き取れなかったSiriの気持ちがわかった瞬間でした。

箸もいらない

「これどうやって食べたらいいの?」
「ン?テデタベルヨ?」

むしゃぁ。すげぇ、ほんとに素手じゃん。熱くないのか。

私もやってみた。あれ?この麺別に茹でてるわけじゃないのか。
熱くないわ、てか辛っ!!

「ハハ、カライ?」
「辛い」
「ムリシナクテイイヨ」
「でもうまい」

たらふく食べました。作ってくれた女性陣が嬉しそうな顔をしているのをみて、時代錯誤かもしれませんがなんだかいいなぁと思いました。

遠慮もいらない…?

お腹いっぱいでみんなが落ち着いた時、奥さんが口を開きました。

「オフロアルヨ」

ゑ?風呂?なんで?

「アナタキョウトマッテイク」

なわけ。こちとらスーツやぞ。
いや着替えがあったら泊まるみたいになってるけど違いますからね。

流石の私も丁重にお断りしました。
日本語上手な男の子は
「タクシーヨボウカ」
って言ってくれたけど呼べるかい。どんだけ優しいねん。

名も知らぬ友

また会おうねってみんな言ってくれました。
私も彼らも、きっともう二度と会うことはない出会いだったことはわかっていました。実際今彼らがどこで何をしているのか知る術はありません。

でもそのほうがなんか粋じゃんと思うのです。
彼は帰る時には切符の買い方がわかるだろうか。
あのご飯は結局なんという料理だったのか。
そもそもあの人名前なんだっけ。

そんなことを思いながら、私は終電のない大阪の街を一人歩いて帰りました。

ひとときの友人の、旅の無事を願いながら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?