見出し画像

スポーツが向いてない人

こんにちは、おーじです。
今回は本当の意味でスポーツが向いてない人について解説します。
偉そうに解説する私がその「向いてない人」です。

○結論

スポーツが向いてない人は……

「手を抜いてプレイするなんて、相手に失礼だ!」に対して「?」と思う人


○解説

「スポーツが向いてない」≠やっちゃダメ

 スポーツが向いてないからと言って、「やるな」と言っている訳ではありません。寧ろ、私はスポーツが大好きです。人がやるのを見るよりも自分がやりたい派です。
 上手いか下手か、好きか嫌いかと「向いてない」は無関係です。では、何を根拠にして「向いてない」と提言するのかについては、私の実例で解説します。

私も最近気付いたんです

 私は小中高と少年野球、バドミントン、卓球を経験してきました。親元を離れて一人暮らししている時には、見知らぬ土地で団体を探して、仲間に入れてもらいました。そんな行動ができるほどスポーツが好きでした。
 しかし、30代になり、少しスポーツと距離を置いた時に色々と考えて、気付いたことがありました。

 私は自分が試合に勝つことを求めていませんでした。そして、自分が価値を感じない「勝利」を他の誰かが欲しいというのなら、わざと負けてでもその人にあげたいと思っていたのです。

よく漫画で見るセリフ

「手を抜いてプレイするなんて、相手に失礼だ!」

 私は「わざと負ける」ことに抵抗がありませんでしたが、その気持ちに気付くと同時に上のセリフが私に罪悪感を与えました。
 しかし、冷静に考えると上のセリフの意味がわかりません。伝えようとしている事はなんとなく分かりますが、言葉の選択が間違っているように感じます。
 勝負の世界においてはどんな内容であっても「勝利」は「勝利」でしょう。逆にその感情論を持ち込むことの方がナンセンスだと思います。選手の自己責任でしょう。

でもスポーツは好き

 私には勝利への執着もプライドもありませんが、スポーツは好きです。

  • 野球では、高速のゴロをしっかりと取れた時

  • バドミントンでは、インパクトの瞬間の手首に伝わる感覚

  • 卓球ではドライブを打つ時のラバーに球が食い込むイメージ

 このような「感覚」を味わうのが好きなんです。私にとってスポーツはゲームや漫画のように楽しむためにする活動の一つなのです。

○まとめ

 スポーツが向いてない人は「上達」するのに時間がかかります。「勝利」を欲するというモチベーションに欠けますからね。さらに、集団競技でも浮き気味です。みんなと求めている物が違いますからね。でも、好きな感覚を追求することは悪いことではないでしょう。

 ただ、スポーツが向いてない私から見れば、必死に「勝利」を求められる姿勢自体がとても羨ましく思います。


「本気を出さないなんて、相手への侮辱だ!」

 これは能力を使わなかった人に勝っても、「手加減してやった」と言われる可能性を危惧しての発言でしょうか? 「試合に勝って、勝負に負けた」の様な感覚を味合わせるなという事なのでしょうか?

 そもそも「手加減してやった」という発言は、今の時代ではあり得ないでしょう。カッコ悪いイメージが付いていますからね。
 であれば、このような概念はどこから来ているのでしょうか?

 自分が最高のパフォーマンスを発揮する。相手も最高のパフォーマンスを発揮することを求める。その上で勝利したい。その勝利は、細胞レベルで、いや遺伝子レベルで相手よりも自分が優れているという「証明」になるから?
 もしもそのような感覚を含んでいるのであれば、生き物としての優劣を明確にしようとしている風に見えませんか?

 当たり前のことを言っているように見せかけて、とんでもないハラスメントではないかと感じてしまいます。

 考えすぎかな(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?