見出し画像

タイミングと神様の時間調整

長く生きていると、世の中は全てうまくいっていると思うことが多い。だから、日程が合わなくて会えない時が続いても、今はそういう季節なのだと考えることにしている。

乗り物であれば、乗れることが全て良いことばかりではなくて、乗らずに降りることで運が良かった場合もある。乗ることで運が良かった場合も当然ある。交通事情や体調や出会いといったことも含めて、確かにあの時電車に乗れなかったのは(乗れたのは)、運が良かったと感じる場合が存在している。

昨日も発車二分前に乗った電車から、思うことがあり飛び降りて、違う電車に乗り換えたことが結果的に良かったという体験をした。

去年は地下鉄に乗るために歩いていたら、信号の手前でタクシーが停まった。そこで数年ぶりにタクシーに乗り、台風の影響を受ける前に帰宅することができた。もしもタクシーが目の前に現れなかったら、電車の遅延で帰宅が午前様になるところだったのだ。

人との出会いもそういうところがある。無理に予定を合わせる必要もない。会える人にはいつか会えるし、会えなくても心配する必要もない。

ずっと会っていた人と急に会えなくなったとしても、それは全て神様の計らいなのだ。お互いの好き嫌いとはまったく関係のない世界で、会ったほうが良いかどうかが決められているような気がする。

また、なんとなく会いたくない相手とは無理に会う必要はない。嫌だなあ、モヤモヤするなあと感じたら、何も言わずに静かに離れていればいいのだ。

それが人生を上手に生きていく基本だと思っている。無理は禁物で自然に任せる。好きな人とは今すぐに会えなくても、ご縁があればいつか再会できるものだし、神様の時間調整にはきっと意味がある。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?