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巨大な破壊エネルギーのことを忘れないようにしよう
四日市市は第二次世界大戦の時に、空襲で市街地が焼かれました。塩浜に第二海軍燃料廠や工場があり、アメリカ軍の重要攻撃目標とされたからです。
若かった義父も塩浜で働いていました。義父はB29の爆撃も受けたそうです。
私の亡くなった祖母からは、焼夷弾が落とされる中、乳母車の中に子供を入れて逃げたという話を聞いたことがあります。幼子を抱えて逃げ惑うとは恐ろしい体験だったと思います。
先日会って話をした年上の友だちの父親は、名古屋大空襲にあったのだそうです。名古屋城も空襲で焼け落ちました。
友だちの父親は生き延び、たまたま四日市の自宅に戻った時に、四日市でも空襲に遭います。名古屋での体験があったので、近所の人たちを川へ誘導しました。そのときに誘導に応じず、消火活動をするために街へ戻った人たちは亡くなったのだそうです。
戦争が終わったのは昭和二十年です。吉永小百合さんが生まれた年なので、もう六十八年前のことになります。
かろうじて戦争の記憶を残しているのは、子供時代に体験した七十代後半の世代からですね。もうすぐ生きて戦争を語ることが出来る人はいなくなるのです。
こうして文章で「空襲」と書いたところで、私を含めてほとんどの人たちは実体験を持っておらず、当時のことがよくわかりません。しかし、機会があれば過去の写真などを見ることをお勧めします。それは過去の辛い体験を繰り返さないための学習です。
ひとたび戦争が起きてしまえば、スピリチュアルな学びなど、どこかへ消えてしまうでしょう。巨大な破壊エネルギーの前では、聖なる意識を保つのは困難なのです。常に精神性を大切にする生き方をするためにも、歴史を学び続けることが必要なのですよ。
危険を知らせる色は、黄色です。知識を表す色も黄色である通り、常に学び続ける意識が必要ですね。
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