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京都の通りすべて歩く - 烏丸通

烏丸通というと、京都の中で、特に観光的な文脈で比較的メジャーな通りとして扱われている。というのも、地下鉄「烏丸」線とか、京都駅の「烏丸」口とか、窓口空間として烏丸通が使われていることが多いためである。またビジネスの中心でもあり、四条烏丸付近には多くの企業のビルが建っている。
歴史的には、平安京の「烏丸小路」にあたる通りとなっていて、なぜ「からすま」なのかというのは、手元にこれといった文献を見つけることはできなかった。以下の記事によると、川が流れていて「河原の州 (かわらのす)」が、もじったものであるとの噂だが、実際のところは不明である。

そんなメジャーな通りだが、通しで歩くとなると、北は今宮通。だいたい北大路駅のある箇所らへんである。南は久世橋通となり、十条駅付近となる。距離にして8kmを超える。2021年11月某日歩行。

この日は、午前中はなにかいろいろやることがあったのか、なんなんのかはもう覚えていないが
15:30 くらいに始点である、北大路駅の裏手に出た。
もう11月末で、この時間になるとすっかり夕焼けという感じだった。
ちゃんと烏丸通にいることを確認できる病院名
烏丸といっても範囲は広いが、京都からすま病院は北大路駅の近くにある
もともとは、京都警察病院だったそうだ。時代の流れで事業譲渡が行われたとのこと。
紫明通の中にある公園
ここにあるイチョウが見事だった
少し寄り道。上御霊通を東に入ったところにある、御霊神社(ごりょうじんじゃ)。
通称が、「上御霊神社」とのことだ。下御霊神社は、寺町通丸太町下ルにある。
794年に、崇道天皇を祀ったのが始まりとされている。
紅葉がきれいだった。紅葉シーズンである。
芭蕉の句碑がある。読みにくいが、1690年(元禄3年)の年末に、芭蕉一行がこの地を訪れ、
歌仙(36句からなる俳諧)を神社に奉納した。との記載がある。
それをもとに、1868年 (慶応元年) に作られた碑がこちら。とのこと。
「半日は 神を友にや とし忘れ」
歌の会の中での、あいさつ文のようなもので、
「あと半日、神社で楽しく年忘れ大会やろうぜ!」 (超意訳)
だそうだ。

ほかにも、国学や、言語学者の碑などが並んでいる、さながらパブリックな博物館のような様相だった。神社仏閣ってそういう性質あるよね。

続けて歩いていく。途中、椅子のゾンビがあった。
御所の西側をずーっと歩いていくわけだが、けっこう長く歩くことになるので、
たしかにこのへんで椅子があると嬉しい。だが、ゾンビだった。
急に生える一条通の案内。
実際、一条通の始点はここである。鴨川の東側にも一条通りはあるにはあるのだが、
名前が「東一条通」となっており、別の通り扱いされている。
自分が標準としている「数え唄」では一条通りは出てこないが、一条通が歌に出てくる
バリエーションもあるそうだ
いつもの、御池モノリス
因幡薬師の壁は目を引くものがある
東本願寺と京都タワー。京都駅はもうすぐ。
烏丸通が、西側に曲がっている特徴的な場所だ。
これは1914年の区画整備によりつくられたもので、東本願寺側からの嘆願により、
真っ直ぐつくれなかった事情があったそうだ。
京都駅の下を通っていく。地図上では烏丸通とはなっていないが、
烏丸通の線上にはあるので、これも烏丸通といってもいいのかもしれない。
八条付近 (京都アバンティの敷地)にある謎のオブジェ。てんとう虫のオブジェもある。
この近くに高速バスターミナルがあり、全国各地へ行くことができる。
バス比較ナビによると、乗り換え無しで39都道府県に行くことができるらしい。
すごい。
九条らへん。すっかり日が沈んでしまった。
焼き肉が食べたくなる。というより、焼肉屋にはもう5年は行ってないとは思う。
いい匂いがした。
ということで、工業地帯になり、久世橋烏丸で、烏丸通が終了する。
写真を見返すと、烏丸四条付近のビル街の写真なんぞを1枚もとっていないことに気づいた。
なんというか興味がないのだろう。

次回は万寿寺通をお送りします。

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