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京都の通りすべて歩く - 釜座通

前回の葭屋町通の記事から随分日がたってしまった。生きています。少し、慌ただしい日々だったのと、体調的な問題なのである。記事には表面的な写真や情報が多いが、街の由来などを調べる場合が多く、1記事の作成にはなんだかんだ、体力を使うものなのである。

また、時間をとれそうなので、誰も見ていなくても、記事作成をゆるりと再開していこうと思う。

前回は葭屋町通だった。この通りは短く、1.2km程しかない。そこで、7本ほど東へ向かい、同日に「釜座通」も歩くことにした。

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前回、葭屋町通で見かけた「生きてます」落書きを多く見かける。
この界隈の何者かが生きていることを示すために残すのであろう。
この記事も、似たようなものである。

釜座通は、北が京都府庁、南が釜座町(三条通り)まで続く、1.2kmほどの短い通りである。北の方は、空間的にもわかりやすく豊臣秀吉シリーズを感じさせる町並み(?)となっていて、三条通りに面した丁字路の名前は「釜座町」という、ズバリ職業名由来の町名がついている。
釜座とは、お茶などを入れるために使う鋳物を作っていた職人である釜師が住んでいたことに由来している。

京都府庁。明治37年竣工とのことで、大変歴史のある建物。今でも利用されている現役という意味では、日本最古。
事前申し込みをすることで見学をすることができる。
全国各地で見かけることができる「明治天皇行幸(ぎょうこう)」の碑。
明治20年とのことなので、その頃はまだ、現状の府庁はできていなかったのだろう。
京都府庁の反対側にはひろーい道路がある。どういう由来でここまで広くしたかは調べられていない。
グリーンカーテンと街の表示盤。カッコ書きで町名を書いているのが良い。
いつもの御池通のモノリスと呼んでいるもの。通りの由来などを知ることができる。
「突抜町」や「図子」は、豊臣秀吉シリーズの通りではよく出てくるもの。
誰かの領地を突き抜けて作られた道であることに由来する。
釜座町には、このようなシンボルがある。これは、大西清右衛門美術館に掲げてある看板である。
今でも400年間、代が続く釜師である。


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