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京都の通りすべて歩く - 三条通 (後編)

この記事は前回の続きとなる。前編は、嵐山から、蹴上まで歩いた。三条通りは、この先、山科の四ノ宮まで続く。蹴上からは、四ノ宮は超えて東海道を歩いて見ようと思う。
前回の翌日、2021年11月某日歩行。

蹴上駅から再開。京都市動物園の最寄り駅となるため、どうぶつをモチーフにしたタイルアート。
駅もれとのコントラストが素晴らしい。
地下鉄蹴上駅の上には蹴上インクライン
琵琶湖疏水の船を運ぶために使っていた場所で、今は観光地
蹴上から東海道方面に歩いていくと、逆方向であることをお知らせする表示が
「地図を見て下さい」
たしかに、ずっと逆方向を歩いてしまうと、峠道になってしまいなにもない。
蹴上から清水寺はちょっと距離ないか? とは思ったが。
緩やかなスロープが続く。うっかり嵐山から通しで歩かなくてよかった。
昔はここに牛車(ぎっしゃ)専用道路があり、その名残を残している。
これも牛車道のモニュメント
地下鉄東西線ができる前は、京阪電鉄京津線がここに走っており、それを廃止しつつ、
道路整備をした記念に作ったそうだ
旧東海道の碑。この峠を「日ノ岡峠」と呼ぶことが記されていた。
超えて、建物が増えてきた。御陵駅付近。
このあたりの御陵とは、「天智天皇」の御陵のこと。
第38代天皇。教科書では「中大兄皇子」という名前で大化の改新を起こしたとされている。
奈良の明日香村に行くと、天智天皇が作ったとされる日本最古の時計である、水時計の遺跡を見ることができる。
667年に、近江大津京に遷都したこともあり、この付近ではゆかりがあるのだろう。
ただし、大津京は天智天皇が崩御した後、壬申の乱が起きたことにより5年しか存在していない幻の都となってしまった。
御陵には鹿が出るとの看板が出ていたが、見ることはできなかった。
ひろーい参道
この日のお昼は天下一品とした。山科店。なんかおしゃれだった。
「四ノ宮」の表記が出たということは、三条通りとしてはここで終了なのだろうが、
少し延長する。
旧東海道を進む
旧東海道ウォーカーは結構多いのか、このような案内が多い。
ありがたいことである。奥羽街道などは、このような案内看板が少なく、
苦労したものである (2敗)
大津絵の案内。民俗的な絵が出てきた。
この日は、追分(おいわけ)駅から家に買えることにした。
この付近から、大阪に行く人と、京に行く人が別れる道があったため、そのままの名前の駅。
大阪に行く人は、ここから伏見と通りつつ、淀、枚方、守口のように向かい、
最終的に高麗橋に到着する。
京都に行けばいいのにというのが思いつくが、どうやら徳川家康時代は、大名が公家とあってほしくないという理由で、京都の中心を通らないルートが使われていたそうだ。

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