京都の通りすべて歩く - 三条通 (後編) 5 kawahara 2022年4月25日 18:02 この記事は前回の続きとなる。前編は、嵐山から、蹴上まで歩いた。三条通りは、この先、山科の四ノ宮まで続く。蹴上からは、四ノ宮は超えて東海道を歩いて見ようと思う。前回の翌日、2021年11月某日歩行。蹴上駅から再開。京都市動物園の最寄り駅となるため、どうぶつをモチーフにしたタイルアート。駅もれとのコントラストが素晴らしい。地下鉄蹴上駅の上には蹴上インクライン琵琶湖疏水の船を運ぶために使っていた場所で、今は観光地蹴上から東海道方面に歩いていくと、逆方向であることをお知らせする表示が「地図を見て下さい」たしかに、ずっと逆方向を歩いてしまうと、峠道になってしまいなにもない。蹴上から清水寺はちょっと距離ないか? とは思ったが。緩やかなスロープが続く。うっかり嵐山から通しで歩かなくてよかった。昔はここに牛車(ぎっしゃ)専用道路があり、その名残を残している。これも牛車道のモニュメント地下鉄東西線ができる前は、京阪電鉄京津線がここに走っており、それを廃止しつつ、道路整備をした記念に作ったそうだ旧東海道の碑。この峠を「日ノ岡峠」と呼ぶことが記されていた。超えて、建物が増えてきた。御陵駅付近。このあたりの御陵とは、「天智天皇」の御陵のこと。第38代天皇。教科書では「中大兄皇子」という名前で大化の改新を起こしたとされている。奈良の明日香村に行くと、天智天皇が作ったとされる日本最古の時計である、水時計の遺跡を見ることができる。667年に、近江大津京に遷都したこともあり、この付近ではゆかりがあるのだろう。ただし、大津京は天智天皇が崩御した後、壬申の乱が起きたことにより5年しか存在していない幻の都となってしまった。御陵には鹿が出るとの看板が出ていたが、見ることはできなかった。ひろーい参道この日のお昼は天下一品とした。山科店。なんかおしゃれだった。「四ノ宮」の表記が出たということは、三条通りとしてはここで終了なのだろうが、少し延長する。旧東海道を進む旧東海道ウォーカーは結構多いのか、このような案内が多い。ありがたいことである。奥羽街道などは、このような案内看板が少なく、苦労したものである (2敗)大津絵の案内。民俗的な絵が出てきた。この日は、追分(おいわけ)駅から家に買えることにした。この付近から、大阪に行く人と、京に行く人が別れる道があったため、そのままの名前の駅。大阪に行く人は、ここから伏見と通りつつ、淀、枚方、守口のように向かい、最終的に高麗橋に到着する。京都に行けばいいのにというのが思いつくが、どうやら徳川家康時代は、大名が公家とあってほしくないという理由で、京都の中心を通らないルートが使われていたそうだ。 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #写真 #京都 #街歩き #京都の通りすべて歩く 5