大原吉人

75歳、職業学のレジェンドが、晩年学に挑戦する。#晩年学 note で検索すれば、今は…

大原吉人

75歳、職業学のレジェンドが、晩年学に挑戦する。#晩年学 note で検索すれば、今は私ひとりだが、2000年に職業学を始めたときもそうだった。 さみしいが仕方あるまい。これも定め 人生の夕焼けを見ながら、知の旅がまた始まる 2024.09.08.

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70歳生き様さがしー糸口ふたり

2024年6月 ー 手本二人を糸口に、 ー 道標、、、 大学にはいるには、受験勉強が かかせなかった。 しかし、怠けていても成人にはなれた。 、 さて、老後はどうか、 老後にも、ふたつの選択肢がある。 諦念して無精するか、丹精して粋にふるまうのか。 、 怠けて、無精して、流されても 往生はできる。 それも仕方あるまい、と思うものの もう少しましな生き方はないのか、 とも考える。 、 もし、すてきな老後を迎えたいと 思うとき、下ごしらえが不可欠だ。 準備段階として、 老後予

    • 生き様発見本通り、太田和彦の    盃つまんでの道しるべ

      徒然草は、思いのほどが秀逸だが、 背景描写がよく、歴史が垣間見えるのがいい。 、 同様に、note 連載の盃つまんでシリーズも、 背景描写がよく、順番に訪問したら、 種尽きることなく、終生たのしめるほどの 盛りだくさんである。 、 読後、もう生き様に悩むことはないのでは、 と思ったほどである。 、 シリーズのVol.01から、順に見ていこうと したが、必死で指送りしてもたどり着けず、 まずは、06、 05、 04を読めた。 天國の天丼がでてくれば、今日のところ は満足で、01

      • おばさんを離脱して、50代でシニアに成る愉しみ

        40代で、おばさんおじさんに成る。 それからが長い。 、 平均寿命がのびて、老けるのがおそくなった。 孫ができないから、おはあさんにはなかなか なれない。 、 「あら、いいんじゃない、、」と反射てきに 口からでるが、孫の顔は見たい。 いいことはないのである。 、 しかし、この複雑な感情がいつまで続くのか、 結婚しないのだから、何もはじまらない。 、 わたしが、おばさんなのはいたしかたないと して、娘がおばさんになっては、おばさん同 士で親子関係はどうなるのか。 、 しかし、朗

        • 赤い晩秋ー出会いに導かれて

          太田和彦の本と出会った書店 をふたたび訪れた時に、今度 は、沢木耕太郎と出会った。 、 入店すぐにである。数ある書籍の中から目にはいり、見つけたというより出会いであろう。「 作家との遭遇」なる本だ。p153 ー 近藤紘一は、記事というかたちで新聞に書いた、、、 さらに掘り下げてルポを書い た。、、、また、エッセイと いうかたちにもした ー 、 noteに参加した当初、わたしは、記事にふなれだった。記者用語と思っていたからである。 しかし、ルポからエッセイに拡大するながれを教わ

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        70歳生き様さがしー糸口ふたり

        マガジン

        • 高齢社会、生き様さがし
          28本
        • 赤くひかる晩秋
          10本
        • 名コメント集、
          6本

        記事

          後高1年生が、うらやむ人

          赤い夕日が、高者を染めて、 心はおどり、顔は華やぐ、、 、 私は後期高齢者、なりたてほやほや1年生。 ノートと原稿用紙をかばんに入れて、 図書館に通う。先生はいない。自習だ。 、 人文コーナーの心理学本は、ほとんど読んだ 次なるはエッセイコーナー。作者の自分語り は、心情がうきぼりになり、刺激を得る。 、 へぇ、こんなことがあるんだ。感心すること しきりである。 、 定年して孤独なりたての時、 大原健士郎の「シングルライフ孤独を生きる」 にであった。その時の私の気持ちに的中し

          後高1年生が、うらやむ人

          ひとり暮らしは、進められるべきもの

          外は雨、50m先のコンビニにも出たくない。 かといってお腹がすいてくる。 、 座禅をして我慢できるほど、人間はできて いない。 、 出たがり屋の私だが、さすがに大雨、 ぬれたくない。 、 さりとて個室にいれば、足は止まり、 動くのは脳だけ、note の記事で頭が いっぱいになる。 、 2014年の記事が残っている。 10年分がぎっしりスマホの中に おさまっている。 、 私は連想する。まるでミトコンドリア多数が ひとつの細胞におさまっているがごとくだと。 、 いうまでもなく、我

          ひとり暮らしは、進められるべきもの

          赤い晩秋ー新しいしあわせ

          子供がいてしあわせ、というなら わたしは充分しあわせです。 ありあまるほどのしあわせをもっ ています。 、 70歳をすぎて仕事がある。 これもしあわせなことで あります。 、 しかし、しあわせに酔ってはいけないよ、 とのささやきが聞こえます。 、 子供でもない、仕事でもない、つぎの しあわせに向かって生きろ、といわれている ような気がしているのですが、、、さて。

          赤い晩秋ー新しいしあわせ

          [生成AI] 晩酌の良さ、晩年の湯取り、

          晩酌は太田さんにまかせるとして、 晩年については、大原吉人がおいおい語ることに なる。 キャリアをつんで、ゆとりある気持ちが持てる ようになる晩年がいい。これからは湯豆腐だ。 、 湯は、銭湯以外にも、湯豆腐があり、あったまる のだが、ゆとりを漢字変換したら、湯取りになっ てしまった。どんな意味あいをもつのか定かでな いが、語感はなかなか酔い気がする。 、 またまた珍現象、良いと書きたかったのに酔いと 変換されてしまった。晩酌名人がのりうつったのか なかなかおもしろくなつてきた

          [生成AI] 晩酌の良さ、晩年の湯取り、

          ことばの小石ーまなぶ、、、高齢者のちがった学び

          いつになっても、まなぶことは大切でしょう。 、 ただし、年とともに多少の変化はあります。 高齢者になれば、学んで覚える能力は落ち ますからね。 、 高齢者が学ぶのは、知恵の伝え方でしょうか、 、 たくさんの知識、知恵はすでに脳の中に あふれるほど入っているでしょう。すきまが ないかもしれません。 その中から何を選択し、後世の人に、どう やって伝えたらいいのか、いまでも私は迷います。 、不要になった賞味期限切れもあるでしょう。 、 1.学習 先生からまなび、大人たちに習う。 小

          ことばの小石ーまなぶ、、、高齢者のちがった学び

          晩年の美学、略して晩美、ばんびを求めて、喜寿いらず

           古希はすぎ、まもなく喜寿が来る。しかし、 喜寿ってピンとしない。古希は古来まれなりで 納得したが、喜寿はなにがよろこばしいのか わからない。長寿はすなおに喜べないのだ。 、 そこで、何か、よろこぶヒントがないかと思い 探しはじめてみた。 、 まず、ノートで喜寿を検索した。 先頭の記事のタイトルは、おとうさんは77歳、 だった。まあ、妥当なところである、ところが しばらく指送りをしていると、たけし軍団の 水道橋博士の記事を発見した。 、 かなりの論客であることは知っていたが、

          晩年の美学、略して晩美、ばんびを求めて、喜寿いらず

          赤い晩秋へ向かってー敬老の日

          終わり良ければすべてよし。 敬老の日がくる。 、 自分の老いを肯定し、老い流されるのが 晩年だ。ゆったりと湯に浸かり、目をつむる。 、 このやすらぎの中、何も考えず、すごせたら、 、 だが、のぼせてしまい、現実にもどされた。 私は、まだ、晩年にはいたっていないのだ。 もう少し、ぬるければ入っていられるのに、 、 往生は他力、思いどおりにはいかない。 、 これから先、晩年になるまでは、、 立派に、まっとうすべく、いま少し、 もがいてみたい。完成度をあげてみたい。 、 青春だけ

          赤い晩秋へ向かってー敬老の日

          食い気の涙には三通りあり、太るわけである

          あいかわらず料理番組が多い。 制作費が安いからであろう。 、 見る方も食い意地がはっているから つい見てしまう。 、 さて、20世紀の終わりに、グレリンが 発見されたり、食い気の研究が進んでい るが、生命維持の根幹をなす機能だから 多彩である。 、 1.目の涙 まず、うまいものを見つければ、たべたくなる。 これは、目から入って視神経をとおり、 脳神経にいくようだ。目が欲しがっている。 、 2.血の涙 また、血液中の糖分が減ると、フクジンという 気持ちの臓器からアドレナリンが湧

          食い気の涙には三通りあり、太るわけである

          第一子は失敗作が多い、素人の母親に育てられて

          早くして! 手際よく、合理化、省力化に余念がない。 要領よく活動することに腐心した若い頃、 積極的に事をなすのが、心地よかった。 、 しかし、今は違う。 若いおかあさんが、子供にむかって「はやく しなさい!」と声を荒げる光景を見ると腹が 立つ。まるで自分がしかられたかのように思う。 子供をだめにしてしまうじゃないか、へたくそ。 、 おばあちゃんの知恵を遠のけ、近所のおばさんの 応援をもらわず、ひとり忙しがって奮闘している 姿はみぐるしいだけ。大声をだしたり、泣かせた りの子育

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          晩年の美学ー好日

          いつも好々爺、たまに好日 、 、 毎日、好々爺でいることは出来る しかし、毎日、好日というわけにはいかない。 、 、 温暖化がすすみ、熱帯地方になっているかの ような日照り、どしゃぶり、のくり返し。 これを自然の恵みとは認知しない。度がすぎて 好日とは思えない。 、 、 ところが、10月になれば、反転して 寒冷がまっている。外気を気にするくらし はつづいていく。 寒いからと、衣替えするのはたやすいが、 体感がついていけるだろうかと、こころが おだやかではないのである。

          晩年の美学ー好日

          高齢者のすすむ道ー離れていく家族に代わるもの、、

          、誰しも現実のくるしさをのがれ、救いを もとめるものですが、昔、日々のくるしさ から民を解放すべく、僧侶は来世を提示し、 極楽浄土があるといいました。たとえ、きや すめでも気がやすまれば結構なことであります。 、 また、現世の最後には極楽気族に囲まれる という物語りがありました。 、 近年はどうかといいますと、家族、親せきは 減るばかりで、さみしい思いをしている人が 多いようです。 どうしたら、さみしさからのがれることが できるのでしょうか。 、 そんな折り、nOteの存在を

          高齢者のすすむ道ー離れていく家族に代わるもの、、

          50歳のときの桃井かおりの提案、「青春の反対が あってもいいと思うわけょ」

          秋がやつてくる。まもなく誰もの 人生の秋が、、、 、 円熟の赤秋も待っている。これは、 若いときに苦労した人だけにおとずれる。 青春を置きざりにしてしまった人にだけ。 、 さて、桃井かおりと聞いて若い子がどれだけ 反応するのだろう、と思う。我々にとっての 原節子である。若い娘にとっては高嶺の花。 まぁ、それは置いといて、本題にはいる。 「赤秋」とは、桃井かおりが2020年に ラジオ番組で披露したらしい。 すてきなことばとして私も以前からつかっていたが 青春ばかりがもたはやさ

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