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短編小説:「アリガトウ・サヨナラ」

 私が高校2年になった春に、父が死んだ。
 父が亡くなってから、私の生活は一変した。

 父の死因は、事故死だった。
 大きな用水路の中で倒れていたそうだ。
 父は、その日は休日だったので、一人で散歩に出かけて行った。いつもなら1時間くらいで、コンビニのスイーツを買って帰って来るのが、この日は、夕食の時間になっても帰ってこなかった。
 母と、「こんなに長時間、散歩してるなんて、珍しいね」と話していた時に、母のスマートフォンが鳴った。
 警察からだった。
 それから、母と私は、タクシーで病院に行った。そして、動かない父と対面した。父は、少しだけ口と目が開いていた。
 警察の制服を着た警察官の女性が、説明をしてくれた。
 父が、大きな用水路の底で倒れているのを、その近所の人が見つけて通報してくれたそうで、救急隊によって、この病院に搬送されて、病院で死亡を確認したとのこと。
 死因は、頭部外傷によるものとのこと。
 状況からいって、用水路の底に生えている藻で足を滑らせて転倒し、頭部をぶつけたと思われるとのこと。
 なぜ、父が用水路なんかに入ったのかは、理由までは分からないとのこと。ただ、近所の人が言うには、その日の午前中に、猫が用水路の底の端っこにうずくまって鳴いていたので、もしかしたら、猫を助けるために用水路に入ったのではないかということ。しかしながら、救急隊が父を用水路から出す時には、猫はどこにも見られなかったとのこと。
 母は、その警察官の話を聴いている時に、始めは動揺しながらも落ち着いた様子で話を聴いていた様子だったのが、一通りの話が終わったとたんに、床にへたり込んで、泣きわめいた。私は驚いたけど、母の傍にしゃがんで、母の肩を抱いて背中をさすった。暫く、母は泣きわめき続けた。
 警察官の人が、私に親戚で連絡が取れる人がいるか?と訊いてきた。恐らく、母の様子から、母には、これからの対応が無理だと考えたのだと思う。
 父方の親戚は、誰もいなかった。勿論、遠い親戚はいるとは思うけど、父が一人っ子で、父の両親は既に亡くなっている為、父の関係の近い親戚はいなかった。
 又、母の親戚は、居るには居るのだけど、母は親戚づきあいを避けていた。私には理由は知らされていなかったので分からなかったけど、あまり良い過去ではないというのは分かっていた。
 警察官の人に、親しい親戚が居ないことを話した。そうしたら、警察から父の会社に連絡をしてくれて、父の上司の上野さんという父よりも若い男性の上司の人が、病院に来てくれた。上野さんも心細かったようで、上野さんの奥さんも一緒に来て、警察と病院の人と色々と話をしてくれた。そして、会社の社長さんなどにも電話で相談して、葬儀屋さんの手配などもやってくれていたようだ。
 上野さん夫婦が、病院の人達などとやり取りをしている間、母と私は少し離れたベンチに座っていた。母は、ずっと泣きじゃくっていて、私は母の隣で母の背中をずっとさすっていた。母がずっと泣き続けているので、私は泣くタイミングをすっかり逃してしまっていた。
 そこに、上野さんの奥さんだけが来て、私に訊いた。
「ねえ。お父さんの事は、うちの夫がやるから。良かったら、私も一緒にお家に行ってもいいかな?二人だけだと大変かなって思うの」
 私は、泣きじゃくる母を見て、
「お願いします。たぶん、何も出来ないし、考えられないと思うので。私は、どうしたらいいのか分からないし」
と言って、お願いした。
 上野さんの奥さんが、
「谷さん」
と母に話しかけると、母の鳴き声に勢いを増した。そこで、上野さんの奥さんがはっとして、私に訊いた。
「お母さんの下の名前は?それから、あなたの下のお名前も教えてくれる?」
 私は、
「母は、美月(みつき)です。私は、太陽(それいゆ)です」
と答えた。
 上野さんの奥さんは、私に優しく頷いて見せてから、母に、
「美月さん。大変だと思うので、私も一緒にお家に行かせて頂きますね。色々とお手伝いさせてください。病院の方などは、うちの夫がやりますから、心配しないでください」
と言って、母が少し落ち着くのを待って、私たちはタクシーで家に戻った。

 家に帰ると、日暮れ前に家を出たので、部屋の中は電気が点いてなくて真っ暗で、電気を点けた部屋の様子は、いつもの家なのに、なぜか、違う家のように感じた。
 その日は、上野さんの奥さんが泊ってくれて、色々と家の事を手伝ってくれた。母は、リビングのソファーで泣いたり、泣き止んでグッタリして、そして泣きじゃくったり、それを繰り返していた。そして、そのうちに疲れ果てて、ソファーで眠ってしまった。
 私は、私の部屋のベッドを整えて、上野さんの奥さんに使って貰い、私は母の寝室で横になった。横になっただけで、色々と考えてしまって、なかなか眠れなかった。ぼーっとしていると、母の匂いを感じた。シャンプーや石鹸、化粧水など、そういった香りが混ざって、母の匂いになっていた。数年前に死んでしまった猫のダイが、よく母のベッドで寝ていた。ダイは、この母の匂いが好きだったのかもしれない。そんなことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。

 父のお通夜も、上野さん夫婦が良くしてくれた。母は泣き続けていて、お通夜の準備の時も、喪服を着る時に泣きじゃくって、着替えるだけで1時間以上もかかった。上野さんの奥さんは、辛抱強く、母に寄り添ってくれた。
 葬儀場では、上野さんが葬儀屋さんとの打ち合わせを行い、他の同僚の方たちが受付などを手分けして引き受けてくれていた。
 私は、棺桶の窓の中の父の顔を何度も見た。ただ寝ているようにも見えて、不思議な感じがした。
 母は、ずっと椅子に座って泣いていた。本当に、あんなに母が泣き続けると、私が泣くことが出来ない。
 時々、上野さんの奥さんが、私に声を掛けたりして、気にかけてくれていた。
 お通夜の開始直前頃に、顔の圧の強いお爺さんが葬儀場に到着すると、上野さんや他の会社の皆さんが、その顔の圧の強いお爺さんに挨拶をした。そして、その顔の圧が強いお爺さんが、母と私の所に来た。
 顔の圧が強いお爺さんは、母と私の目の前に来ると、悲しそうな表情になって、それまで社員の人に話をしていた時とは違って、優しい声で言った。
「はじめまして、谷さんが勤めている会社の社長をしております、ソメヤと申します。この度は、ご愁傷様でございます。本当に急なことで、私どもも驚いています。いやぁ、彼には本当に力になって貰っていたものですから、我々も悲しいやら、寂しいやら。奥さん。何か困りごとがありましたら、我々を頼ってください。谷君にして貰った恩返しを精一杯させていただきますから。上野に申し付けてくださいね。では」
というと、上野さんのところに行って、何か話をしていた。

 お通夜が始まると、父の会社の人達が沢山来た。又、近所の人達や、母の知り合いの人、そして、私の同級生も参列してくれた。
 ムギちゃんは、お焼香の後に、泣きながら私の手をギュッと握ってくれた。言葉は無かったけど、それは、どうやって私に声を掛けたらいいのか分からないからだと私は分かっていたので、そのギュッとしてくれた手の強さに凄く励まされた。

 母の職場の同僚の人達が来て、お焼香の後に、母に、
「この度は、ご愁傷様です」
とかしこまった挨拶をして、その後に、その中で一番若いと思われるオバサンが、
「美月ちゃん。大丈夫?何か困ったことがあったら、何でも言ってね。じゃあ」
と言って、その場を離れた。
 そして、少し距離があるところで、
「美月ちゃん。可哀そうよね~」
とその中の一人が言った。意地悪そうな顔をしたオバサンだった。それは、浅田のお母さんだった。
 それを止めるように、その中で一番若いオバサンが、
「涼子さん!やめて!」
と言って、意地悪そうなそのオバサンを怒った。そして、足早にその場から離れて行った。
 意地悪そうなオバサンは、甘えるような声で、
「未来(みく)ちゃ~ん。ごめ~ん」
と言って、それを追いかけて行った。
 私は(謝るべき相手は、若いオバサンではなく、うちのママなんじゃないの?)と思った。
 それから、直ぐに浅田もお焼香を終えて、私の所に来た。
 浅田は、私が制服姿に黒革の靴を履いているのを見て、
「何で、赤じゃないんだ」
と言った。
 私は、(はぁ?)と思った。普段なら、浅田に言い返す事はしないのに、この時は、思わず言い返してしまっていた。
「あのね。浅田。お通夜やお葬式の時は、黒っぽい服装をするの。赤とか派手な色は使わないの」
 私は浅田に怒りの感情を表していた。
 だけど、浅田は、私が怒っている事を一切気にせずに、
「だって、お前は、赤が似合うだろう?お前の父ちゃんもそうだけど」
と言った。
 私は、父の事まで言われて、腹が立った。
 気が付くと、浅田が私の目の前で話し続けているので、お焼香が終わった人達が浅田待ちの状態になって、渋滞し始めていた。
 私は、浅田の袖を掴んで、会場を出て廊下で浅田に言った。
「浅田。何で、私とお父さんが、赤を着なくちゃいけないの?お葬式だよ?お通夜だよ?」
 浅田は、真剣な顔で、
「だって、お前とお前の父ちゃんは、俺のヒーローだからさ」
と言った。そして、
「小学校の時に、お前とお前の父ちゃんが、俺の帽子を木から取ってくれただろう?そのおかげで、俺はウチの父ちゃんと母ちゃんに怒られなくて済んだんだよ」
と続けた。

 私は、浅田の言っている事から、小学生の頃の事を思い出した。
 あの日は、母が1人で買い物に出たものの、出先のスーパーの特売品が重い物ばかりで、1人では持ちきれない為に、父に「八重桜が綺麗だから花見をしよう」と遠まわしに呼び出した日だ。父は、そんな母の目論見には気が付かないので、私がエコバッグを用意して、2人で母の待つスーパーに向かった。
 公園を通り抜ける途中に浅田が居た。浅田は一人で、木を見上げていた。浅田は私に気が付くと、
「おう。ギョギョギョ。父ちゃんと散歩か?」
と言ったが、いつもの大きな声ではなく、元気のない小さな声だった。
 私は、浅田の様子がおかしいのに気が付いて、
「どうした?浅田」
と訊いた。
 浅田は、木を指さして、
「俺の帽子が、飛ばされて、引っかかっちゃった」
と言うと、ぐすぐすと泣き始めた。
 父と私は、その浅田が指さす帽子を見つけた。すると父が、浅田の頭に優しく手を添えて、
「大丈夫。多分、取れるよ。待っていて」
と言った。そして、私に、
「天使ちゃん。お父さんが肩車するから、帽子を取って」
と説明した。
 私は、ちょっと嫌だった。小学4年生にもなって、父親に肩車されるのが恥ずかしかったし、小学2年生以来の肩車は少し怖かった。だけど、浅田は泣いているし、父が浅田に言ってしまったので、協力するしかなかった。浅田に、私が持っていたエコバッグを持たせると、木の根元にしゃがんで私が乗るのを待っている父の肩に乗った。父は木の幹を支えにして、ゆっくりと立ち上がった。
(高い!ちょっと楽しい!)と思ったけど、浅田見ているので、言葉にはせず、顔にも出さなかった。
 帽子がすぐ目の前に見えた。枝が二股に別れているところに帽子が引っかかっていた。思ったよりも簡単に帽子が取れた。
「取れたよ」
と2人に報告すると、父は木の幹に近づいて、木の幹に手を当てて支えにして、ゆっくりとしゃがんで私を下した。
 私は浅田に帽子を渡した。
 浅田は泣き顔のまま笑顔になって、
「ありがとう!!これで、俺、怒られないで済んだ~!」
と、いつもの大きな声で言った。
 父は、そんな浅田の様子を見て、満足そうに笑った。私も笑った。
 後から考えると、あの時、父が浅田を肩車しなかったのは、浅田が私よりもガッシリとした大きな体で、父自身が浅田を持ち上げることに自信が無かったのだろう。それに、浅田を無理に肩車して、倒れて浅田に怪我を負わせるリスクも考えていたのだと思う。私からすると、久々の肩車は、ちょっと面白かったので、良い思い出だ。

(そうだ。そんなことがあった)と私が思っていたら、浅田が続けた。
「だから、お前が中学の時に緑色の靴を履いていただろう?緑はヒーローでも、どんくさい奴の色だから、お前には似合わなくて。俺は、お前は赤い靴がいいって、思ったんだ」
と言った。
 そうだ、中学生の時に、緑色の靴を気に入って買って貰って、初めて履いた日に、浅田に「似合わない」って言われて、その靴を履きつぶすまでの間、なんか気分が悪かったのを思い出した。だけど、浅田の話を聴いて、(そういう事だったのか)と納得できた。寧ろ、(あの気分の悪かった時間を返せ)とも思った。
「じゃあな。母ちゃんが待ってるから、俺は帰るよ。ギョギョギョォ。元気出せよぉ」
と言うと、浅田は走って葬儀場の出口に向かって行った。
 浅田の話で、父との昔の話を思い出した。少しだけ、浅田に感謝した。

 お通夜も、お葬式も、父の会社の人達が全て取り仕切ってくれた。喪主の挨拶は、母には無理だったので、父の会社の社長さんが長々と話をしてくれて、最後に私が一言だけ、
「皆様。父の為にお集まりいただきまして、ありがとうございました」
と挨拶をした。

 それから暫くして、家に、上野さんの奥さんとムギちゃんのお母さんと区役所の職員さんと弁護士さんが来た。
 私の今後についての話をしに来たのだった。
 母が精神的に病んでしまい、家事などの生活に必要なことが一切出来ない状態になっていた為、私の生活が大変であるということで、私の将来について、私に説明に来たのだった。
 母は本来であれば病院に入院する状態だったけど、母自身が家に居る事に執着が強かった為、病院に入るよりも家で生活を続ける方が母の為には良いと判断され、介護士さんが訪問して母をみることになった。しかしながら、私に対しては、母は拒絶反応を示していた。恐らく、私と居ると、父の事を強烈に思い出してしまうようで、父の居ない寂しさを強く感じてしまい、私をあからさまに拒絶した。私も母に拒絶されることが大きなストレスになっていた。
 詳しい事は、あまり分からなかったけど、簡単にまとめると。今ある貯金は、今後の母の生活維持のために使う。その為に、私は通っている私立の高校から公立の高校に転入する。それによって、授業料などが無償なのでかからなくなる。そして、私は昨年から始まった『マミー制度』を利用して、児童養護施設から替わった『マミーズホーム』に入居する。
 『マミー制度』では、入所すると、母とは連絡も取れなくなる。又、面会も出来ない。そして、退所後も保護者との同居が認められなくなる。その部分が気になったけど、一緒には住めないけど、近所に住むことや、一緒に食事をしたり、出かける事は出来るという事を説明された。
 それに、大学生になっても、『マミーズホーム』で生活が出来るので、生活費などの心配はないとのこと。
 今住んでいるマンションは、分譲マンションなので、私が『マミーズホーム』を退所した後で、どうするのかは考える事になった。それまでは、介護士さんに助けてもらいながら、母が一人で生活することになった。

 私は、『マミーズホーム』に入居した。
 入居初日は、母よりも年上のマミーが担当だった。それから、その日の私のペアが、私よりも年上の大学生のお姉さんだったので、マミーとその大学生が色々と教えてくれた。二人とも優しくて、不安が軽減された。心強かった。
 まず、キャスター付きの大きな箱型の家具を私用にと引き渡された。
 高さが私の身長位で、中央辺りの扉を前に倒すと、机になった。それ以外の上の部分や下の部分は収納になっていて、そこに自分の洋服や鞄なども仕舞えた。全て鍵がかかる仕組みになっていた。子供同士のペアが換わる時に、この大きなボックスも一緒に移動させるとのことだった。

 翌日は、『マミーズホーム』から学校に行った。父が亡くなって以来の登校だった。
 学校に行くと、ムギちゃんが駆け寄ってきて、
「タイちゃ~ん」
とだけ言って、抱きしめてきた。
 ムギちゃんは、ムギちゃんのお母さんから私の事を聞いていたけど、いつもと変わらない様子で、一緒に居てくれた。
 私自身は、内心は(『マミーズホーム』から登校することを、皆がどんな風に思っているんだろう?)と思っていた。それは嫌な気持ちだった。
 だけど、ムギちゃんや仲の良い友達は、いつもどおりだったので、私も午前中が終わるくらいには、気持ちが落ち着いていた。
 しかし、お昼休みが終わって、午後の授業が始まる前に、廊下で小さな声が耳に入った。
「あのこ。マミーズホームに入ったんでしょ?」
 私は、誰がそれを言ったのかを知るのが怖くて、その声の方を見ることが出来なかった。
 その言葉は、ただの事実を言っただけなのかもしれない。悪気は無かったのかもしれない。
 だけど、私は少し惨めな気持ちになった。
 『マミーズホーム』の生活は、担当のマミーさん達は、皆、善い人だし。食事も母が作っていたメニューと変わりない。寧ろ、母以上で、母よりも手の込んだ料理を作ってくれるマミーさんも居る。洋服だって、今までの服を着ているし、新しい服も提供される。『マミーズホーム』の建物だって、お洒落で清潔で、その辺の一般のお家よりも快適だ。それに、母が病気なので、母と一緒に生活出来ない事は、寂しいけど、仕方ないことだ。環境的には、惨めに思う事は無い状況だ。
 なのに、惨めな気持ちになった。その惨めな気持ちの正体は、分からなかった。

 その次の休日は、マミーさんとショッピングモールに行く日だった。
 その日のマミーさんは、予定表を見ると、初めて担当されるマミーさんだった。
 朝、目が覚めて、寝室からリビングルームに行くと、今日の早番のマミーさんが朝食の準備をしていた。
 男の人だった。その人は私に気が付くと、飛び切りの笑顔で、
「おはよう!輝石(だいや)です。よろしく~!ほら、顔洗っておいで!」
と言った。若くてイケメンだった。
 私は、動揺した。(格好いい・・・。え?)私はドキドキしていた。
 顔を洗って、うがいをして、部屋に戻って着替えて、リビングに戻ると、今日のペアの中学生の女の子の優奈(ゆうな)ちゃんが食卓に着いていて、
「おはよう」
と私に挨拶した。私も、
「おはよう」
と挨拶した。そして、優奈ちゃんの隣の席に座った。
 マミーズホームでは、赤ちゃん以外は基本的に、マミーと子供たちが向かい合って座って食事をする。マミーが子供の表情を見る為だ。
 優奈ちゃんは、輝石マミーが食事の支度をしているのを見ながら、
「輝石マミー。美しいよねぇ?」
と私に訊いてきた。私は、
「うん」
とだけ答えた。そして、優奈ちゃんが続けた。
「私さ、輝石マミーに初めて会った時に、恋に落ちたんよ。フォーリンラブよ」
 優奈ちゃんの話し方が面白くて、思わず笑ってしまった。
 優奈ちゃんも私が笑ったのにつられて笑って、
「けどさぁ。直ぐにハートブレイクよ」
と言って、残念そうに輝石マミーを見て言った。
 私は、(輝石マミーは、結婚してるとか?恋人がいるとか?)と思ったら、優奈ちゃんが言った。
「輝石マミー。ゲイなんだもん」
 すると、輝石マミーが、料理のお皿をテーブルに運びながら、
「ちょっと、優菜さん!全部聞こえてるからね!それに、そういうの駄目だよ。アウティングだよ。今は僕だからいいけど、他では絶対にしちゃ駄目だからね。勝手にそういう事を言うのは!」
と優しく説教をした。
 近くで見ると、輝石マミーは、本当に格好良かった。優奈ちゃんが言うように、『美しい』という言葉が最適だった。
 そして、3人で食事をした。その食事中に、輝石マミーが話した。
「太陽(それいゆ)さん。今日の担当が、男性の僕で、驚いたでしょ?ここに来て、男性のマミーは初めてだもんね」
 私は、正直に、
「はい」
と答えた。輝石マミーは、申し訳なさそうに少し笑って、
「今日はね、これから3人でショッピングモールに出かけるでしょう?太陽さんとか優奈さんみたいな年頃の女の子には、僕みたいなマミーが同行する事になっているのね。」
 その言葉に反応して、優奈ちゃんが、
「お年頃~?」
とフザケて言って、頬に手を当てて目をパチパチと瞬きして見せた。私は笑った。輝石マミーは、笑いながら口を尖らせて少し怒った表情をしてお道化た。そして、
「あまりいい話じゃないけど、痴漢とか、誘拐とか、そういう輩(やから)が近づいてくる可能性も0(ゼロ)では無いからね。因みに、僕。空手の有段者だから、安心して!それから、優奈さんがアウティングしてくれたけど・・・」
と言って、輝石マミーは、優奈ちゃんを悪戯っぽくジロリと見てから、
「僕は、ゲイだから、あなた達に変な気は起こらないから!ゲイだからっていうのは冗談としても。そもそも、マミーだからね。子供達をそういう対象にはしません!」
と言って、私に微笑んだ。
 素敵な笑顔だった。
 私も、ハートブレイクした。

 優奈ちゃんと私は、食後の食器の片づけをして、洗濯ものを畳んだり、自分の家具に荷物を整理して、出かける準備をした。
 そして、輝石マミーとバスに乗って、近くのショッピングモールに出かけた。

 ショッピングモールでは、常に3人で一緒に行動をして、雑貨屋さんを見たり、洋服屋さんで買い物をしたり、レストランで食事を楽しんだ。
 優奈ちゃんが楽しい子なので、ずっと笑っていた。
 そして、ショッピングモールの通路を歩いていて、ふと気が付くと、すれ違う女の人達が、輝石マミーを見ている事に気が付いた。
私は、(さすが・・・。輝石マミー。イケメン)と思った。
 女性たちは、輝石マミーを見て、コソコソと「格好いい」とか、「あの3人、兄弟なのかしら?」とか、言っているのが聞こえてきた。
 私は、格好いい輝石マミーと一緒に買い物していることに、少し優越感を感じた。
 すると、直ぐ近くで、地味な感じのオジサンとオバサンが、私たちに聞こえるように、イヤラシイ言い方で言った。
「あれ、マミーって奴だろう。あのマミーズホームって施設の。若い男が女の子を相手にしてていいのかね?」
「あの子、見た事ある。隣のマンションに住んでた子よ。マミーズホームに入ったのね」
 それを聞いて、私たちは、一気に気分が下がった。
輝石マミーも、口をへの字にして、黙って歩いた。優奈ちゃんが、その地味なオジサンとオバサンを睨みつけた。すると、そのオバサンが、イヤラシイ言い方で、
「嫌だ~。怖~い」
と言った。そのオジサンも、イヤラシイ言い方で、
「うわ。本当だね~」
と言った。
 私は、俯いて下唇を噛んで、その前を早く歩いて過ぎた。

 暫く歩いて、周りに人が居ない少し開けた場所に着いたら、優奈ちゃんが振り返って怒りながら言った。
「なあに?さっきの!ほんっとうに、ムカつくんだけどぉ!」
 輝石マミーは、優奈ちゃんをなだめて、
「こらこら、そういう事を直ぐに態度にださないの!大人でもね。馬鹿な人は居るの!」
と言ってから、はっとして、
「ああああ。馬鹿とか言っちゃいけないね。だけどね。残念だけど、大人だからといって、大人の年齢の人が、皆、正しい大人とは限らないし、寧ろ、正しい大人の人の方が、少ないのかもしれないんだから。『大人だから』って過信しちゃ駄目だよ。子供でも、きちんとしている子と、信用できない子っているでしょう?大人になっても、それは一緒。変わらないの。勉強になったね」
と言った。
 だけど、私は、一方的に私の事を知っている人が近くに居る環境で、マミーズホームで生活をするのは辛いと思った。学校でも惨めだと思ったのを思い出した。
 私は、その日は、マミーズホームに帰るまで、笑えなかった。

 暫くして、通っていた私立の高校の最後の日が来た。この日は、校長室で、先生方に挨拶だけして帰った。
 初めて入った校長室は、昔の映画やドラマに出てくる応接間のような感じだった。部屋の奥に校長先生の机があって、その手前にソファーセットがあった。
 私達は、ソファーに座った。私の向かいの席に、校長先生が座って、その隣には学年主任でもある進路指導の先生が座った。私の隣には、輝石マミーが座っていた。
 校長先生と学年主任の先生のそれぞれから、「新しい学校でも、頑張ってください」という事を言われた。

 学校を出て、駅まで歩いた。徒歩だと30分位かかる距離で、本来はバスに乗って移動するような距離だったけど、バスの時間が丁度良くなかったのと、なんとなく、歩きたい気分だったから、それを輝石マミーに伝えたら、「いいよ。歩こう!」と言って、一緒に歩いてくれることになった。
 街路樹の桜は、葉が黄色く色づき始めていた。
 暫く歩いていると、私は無意識に、小学校の卒業式で歌った歌を口ずさんでいた。
 それを聴いた輝石マミーが、
「あっ。その曲!僕も卒業式の時に歌ったよ!」
と言って、一緒に歌い出した。だけど、2人とも直ぐに歌詞が分からなくなって「ラララ~」とか「ルルル~」とかで歌った。
 歌いながら、小学生の頃の事とか、中学生の時の事とか、高校生になってからの事を思い出した。そのうちに、涙声になってしまった。
 それに気が付いた輝石マミーが、
「その辺のベンチに座る?」
と訊いてくれたけど、ベンチとかに座って、一か所でずっと泣いているのは恥ずかしいと思ったし、泣き止むまでに時間がかかったら、帰るのに時間がかかると思ったから、
「うううん」
と言って、首を振った。
 二人で、「ラララ~」とか「ルルル~」とか、歌いながら歩いた。どんどん涙が出てきた。私はふらついてしまった。輝石マミーが、もう一度、
「その辺で座る?大丈夫?」
と言ってくれたけど、首を振って拒否をした。
 そうしたら、輝石マミーが、そっと手を繋いでくれた。嫌な感じはしなかった。きっと、他の男性のマミーだったら、嫌で、手を振りほどいていたと思うけど。
 手をつないで、輝石マミーと歌いながら歩き続けた。輝石マミーは、途中で河原の道の方を選んでくれて、人があまり居なくて、心が少し楽になった。
 お父さんの事を思い出した。
 輝石マミーの少しごつくて大きな手が、私が小さい時に繋いだ父の手を思い出させた。私は、それまでよりも、もっと泣いてしまった。号泣って言っていいくらいに泣いた。
 輝石マミーは、手にそっと力を入れて、一人だけで歌い続けていた。私に何も質問しなかった。私が泣き止むまで、歩きながら5回くらい卒業式の歌を歌ってくれていた。


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