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ソジャーナ・トゥルース 2生い立ちと両親

 私の先祖は九州の農民でした。明治生まれの曾祖母は名前も顔もわかりません。農作業や養蚕などの知識は十分に持っていたでしょうが、尋常小学校に上がっていなければ読み書きも必要なかっただろうし、自分の年齢も知っていたかどうか。私が200年前、江戸時代末期の日本の農村に生まれていたらどういう人間に成長し、どんな人生を歩いていたのか、想像すると不思議なものがあります。

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 この自伝の主人公は、現在ソジャーナ・トゥルースと名乗る女性である。実名をイザベラといい、本人の推測によると、生まれたのはおそらく1797年から1800年の間だという。両親はニューヨーク州アルスター郡、ハーリー在住のアーディンバーグ大佐の奴隷、ジェームズとベッツィーだった。
  アーディンバーグ大佐は当時ロー・ダッチ(訳注:ドイツ南部の山間部に住むドイツ人がハイ・ダッチと呼ばれたのに対し、低地に住むオランダ人を指した名称)と呼ばれるグループに属していた。

 最初の主人が亡くなったときソジャーナは小さかったので、大佐のことは覚えていない。そのあとソジャーナは、両親とその他10人から12人ほどの奴隷財産とともに、大佐の息子であるチャールズ・ アーディンバーグに相続された。ソジャーナは、 父母が「チャールズ様はアーディンバーグ家の中では一番いいご主人だから、自分たちは本当に幸運だ」という話をしていたのをはっきりと覚えている。チャールズが自分の奴隷には比較的親切だったからだ。

 ジェームズとベッツィーは忠実で従順だったし、立ち居ふるまいも良かったため、主人の覚えがめでたかった。そのためにさまざまな恩恵を受けたが、そのひとつとして裏山のすそ野に広がる大きな耕地を使えることがあった。彼らは天気のいい日の夕方や日曜は畑仕事にいそしみ、タバコやトウモロコシ、亜麻などを作って、家族の食料や衣類と交換した。南部州の一部で慣習になっていたように、土曜の午後は休むことが許されていたかどうかはソジャーナの記憶にない。

2生い立ちと両親 了 続く


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