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ソジャーナ・トゥルース 4イザベラの兄姉

 東南アジアのスラムで活動するボランティアの本を読んでいて、「自分の子が何人いるのかわからないお母さん」が出てきて仰天したことがあります。「売り飛ばされて今ここにいないからわからない」も悲惨ですが、この場合「目の前にそろっているけど、多すぎて数えられない」。それでも家族全員の衣食住をなんとか確保しながら、日々の生活に奮闘するお母さん。先進国で安穏と暮らす私には、想像もつかない人生がそこにはあります。

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 イザベラの父は若いときとても背が高く背筋がピンと伸びていたので、「バウムフリー」と呼ばれていた。 オランダ語で木という意味で、ーー少なくともソジャーナによると「バウムフリー」という発音だったーー彼女の父はたいていそう呼ばれていた。一方、母親の通称は「マウマウ・ベット」だった。10人から12人の子が産まれたらしいが、ソジャーナは自分の 兄姉の正確な人数を知らない。彼女は末っ子で、上の子たちが一人をのぞいて全員が彼女の記憶が始まれる前に売り飛ばされたからだ。イザベラは自分の奴隷生活の間、そのうちの六人に会うことができたという。

 イザベラのすぐ上の二人、五歳の男の子と三歳の女の子はイザベラが赤ん坊のときに売られていったが、この子たちの話はたくさん聞かされた。イザベラの望みは、奴隷が自分の子どもに親らしい愛情を抱かないと信じている者たちに、自分が両親から伝えられた話をそっくり聞かせてやることだ。バウムフリーとマウマウ・ベットは松明がチラつく暗い地下室に座りこみ、混乱した記憶が許すかぎり愛しい子どもたちの思い出にひたって、彼らがいかに可愛らしかったか、また、彼らが奪われたときはいかに辛かったかを、何時間でも飽かずに語るのだった。二人の心は子どもたちを失った悲しみに血を流していた。

 とくに思い出されるのはある小さな男の子のことで、その子は両親とともに過ごした最後の朝、鳥とともに起き、火を熾して、「ママ、ぼく朝のしたくをしたよ」とマウマウを呼んだ。その子は数時間後に家族との恐ろしい別れが待ち受けているとはつゆとも知らなかったが、両親にはぼんやりとした、それだけにいっそう悲痛な予感があった。

 地面は雪におおわれていて、当時まだ存命だったアーディンバーグ大佐宅の戸口に、橇で乗りつける者があった。何も知らない子は橇の来訪者を見て喜んだ。しかし自分が橇に乗せられて、妹が橇に備え付けの収納箱に閉じ込められ、鍵をかけられるのを見るにいたって、なにが自分たちの身に起きているかを悟った。男の子は恐怖におののくシカのように橇から飛び下りると、家に駆けこんでベッドの下に身を隠した。しかし抵抗もむなしくすぐ橇に戻され、神が彼に保護者や守護者として与えた両親、その庇護の代わりに年をとってから男の子を頼りにするはずだった両親から生木を裂くように連れ去られ、その後二度と彼らの顔を見ることはなかった。

 著者がこうした史実にコメントをすることは控えよう。読者は奴隷の親に直接耳を傾けて、彼らが辛く悲しい心情を吐露するのを聞くがよい。 人の親ではなくとも、人道や道義というものを知る者がこうした悲劇を知れば、理性や神の啓示によって正しい判断をすることだろう。

イザベラの兄姉 了 つづく

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