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チョムスキーとの対話 17バラと水仙

 ICレコーダをオンにして48分たったところで、ベブさんが部屋に入ってきた。「お話中申し訳ありませんが、もうお時間です」。面会時間は一人45分ということにしておいて実質50分、その間の10分でチョムスキーは自分の用事をすませるという流れなのだろう。ちょうどリストしてきた質問を聞き終わったところで、私のほうとしてもきりがいい。最後にお礼を言って、Understanding Power を初めて読んだときの感想を伝えた。

「私はアメリカに来てから地方都市のいわゆるクオリティ・ペーパーやニューズウィークをせっせと読んでいましたが、読めば読むほど主流のメディアはどうも何かが変だという気がしていました。でも相手は天下の一流メディアなので、どこが変なのか考えようとしませんでした。そんなところに先生の著作を読んで、本当に驚きました。ここに書いてあるのは、まさに私がメディアから抜け落ちていると感じていたことだったんです。先生からは情報を受身で吸収するだけでなく、ちゃんと自分で考えて行動しなくてはならないということを学びました」

 ・・・こうして書いていくと、私がチョムスキーから学んだのは小学校で教わりそうな当然のことだ。三十路を過ぎるまでそれに気がつかなかったというのはどうも間抜けだが、どうしてもこれだけは言いたかったのだ。あんまり絶賛するとうるさがられるだろうし、「私のことはどうでもいいから、自分でいいと思うことを行動に移したほうがいいですよ」と思われるのが落ちだろうけれど。

 オークションのアイテムにはサイン本が一冊含まれていたが、チョムスキーは忘れていたらしく何ももらえなかった。しかし持参した新品のUnderstanding Powerに編集者あてのサインをして下さったので、目的は全て達成したことになる。さらにチョムスキーは「翻訳でわからないことがあったらいつでも連絡をください」と、最後にもう一度言ってくれた。

 部屋を出ると、さっき私が座っていたイスに、次の来訪者らしい若い女性が待機している。ああ、ついに終わったんだ。興奮さめやらぬまま、ベブさんにお礼を述べる。キャロルさんのことを聞いたと話すと、ベブさんは「幼馴染で60年近く連れ添ったおしどり夫婦だから、本当に辛いわよね」とため息をついた。

 夫妻にとってはまったく他人の私だけれど、袖擦れ合うも他生の縁というやつだ。だれかが病気で臥せっていると聞いたからには、なにかお見舞いをせねばならない。チョムスキーの話によるとキャロルさんは自宅でつきそいの看護婦さんと療養されているそうだから、花でも送ろうかしらんと考えながらビルを出た。

 しかし知らない人からいきなりお見舞いを送りつけられたら、キャロルさんが不審に思うもしれない。どうしたものか思案しているうちに、ケンダールの駅前に花屋があることを思い出した。露店だが、質の高い花が置いてある店だ。のぞいてみると、ピンクのバラの新鮮なのがある。いろいろな花を取り混ぜたブーケもあるが、ここは一つバラだけで行こう。老教授が奥さんにバラの花束を持って帰るところは、想像するだけでロマンチックではないか。

 店頭には周到に花瓶も用意されているので、シンプルなものを選んで一緒に求めた。花瓶入りだと車で運ぶのがちょっと難儀だが、花束のままでは帰りが遅くなると萎れてしまう。水を抜いて持って帰り、家で水を入れるだけならそれほど面倒でもないだろう。店主のおばちゃんは心得たもので、バラを水切りして形良く活けてくれた。

 ついでに水仙の小ぶりな花束も二つ選んで、一つは自宅用、一つはベブさんへのお礼とする。そして腕いっぱいに花を抱えながらの街歩きを楽しみつつ、勝手知ったるチョムスキーのオフィスに戻った。チョムスキーは奥の部屋にいて姿が見えないので、ベブさんにバラをことづけて水仙を渡す。清楚な水仙を手にした彼女はにっこりして、「お金が少しあまったら 黄水仙を買って帰ろう」という詩を暗誦した。

続く

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