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調子を一定に

先日、ランニングという僕にとっての深呼吸に出かけました。

桜の時期には川沿いの土手や街中にある桜に目を奪われていましたが、最近では桜の時期には気づかなかった草花などがよく色づいていて視覚から元気をもらえます。


冬場のランニングと違い、もうだいぶ暑くなってきています。休みのたびのランニングが一戦一戦という感じで自分との戦いのように思えています。「よし、今日も走り切ったぞ=勝ち」「途中で走る気が失せてリタイア=負け」のようなイメージで走っています。

その日はその一戦になんとか勝利を納めました。達成感があり嬉しかったです。

同じ距離を同じ人間が走っているのに走れる日と走れない日があります。頑張ってるんですけどね、楽しんでるんですけどね、体の調子だったり、気持ちの調子だったりが影響して楽しみきれないこともあるんです。


なんだかプロ野球と一緒ですね。シーズンのこの時期になるとだいたいランキングが固まってきて、そのまんま最後まで行っちゃう。優勝争いは上位3チームくらいで、みたいなことが多いです。たまに交流戦や球宴を挟んで調子が良くなったりして順位争いの形勢が変わることもありますけどね。
どのチームもみんな強いんですよね。それがちょっとした調子の悪さがあったり、それが続いてしまったり、団体スポーツなのでみんなのチカラがひとつになりきれなかったりして低迷ということになってしまう。全てがうまくいくチームはノリノリで最後まで上位を突っ走ります。そして不思議なのは前年優勝しても翌年には下位になったりとか、たった一年で調子が狂うこともあります。


なんでも調子を維持するのは大変なこと。体も気持ちも。自分だけでなんとかコントロールしようと頑張っているのに、そこに“他人”ていう外部刺激が加わり、コントロールの邪魔をしてくれる。なかなかこういう外的要因は排除しづらいので、気持ちを高ぶらせるにも苦労します。調子を維持できるってのもひとつのチカラなのかもしれません。


人は生きていく中でいろんなチカラを身につけたり失ったりします。失うことだって決して悪いことじゃない。必要ないから自然に自分の中から消えていくんです。そうやって調子を整えていくんですね。

その時その時の自分の一番調子の良いポイントを見つけられたら、自分という存在の尊さが一層増すんじゃないでしょうか。

調子は心地よいところで一定に。


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