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読者の虚像と執筆者の味。

顔も雰囲気も知らない誰かのnoteを読みながら「これを書いてる人も生きてるんだなぁ」と当たり前のことを思う。

その誰かはたしかに生きていて、今日という疲れも私と同じように感じているはず。どんな幸せを感じる人で、誰といるのが好きで、何に不安を感じながら生きていて、明日への期待は抱く人なのか、何の実態も知らないからこそ生きている不思議にたどり着いてしまった。

今日一日を振り返る記事、夫婦のあれこれを書いた記事、ライフスタイルを魅せる記事、時には小説や詩。拝読している私は仕事着だったりお洒落をしていたり、時にはトイレに座っていたり布団に寝転んでいたり。書いてる人はその時どんな服装で、どんな部屋にいて、どんな体勢で書いているのか。執筆者の虚像を作り上げて自分と重ねてみたり遠くぼかしてみたり。

文章はどこまでも面白い。根拠のある情報検索よりも、誰かの感情やファンタジーを体験している方が人を変える力を持っているかもしれない。

私もこの人のような人間性に辿り着きたい。私も私みたいなどこかの誰かの虚像になってみたい。想像上で生きる素敵な誰かは、ヴィーナスも二度見するほど美しいことを私は知っている。憧れしか見なくていいんだもの、見えないんだもの、美しい...美しいに決まっているけれど、顔には黒い靄がかかっていて首から下しか美しくないことも、私は知っている。

人間味溢れる記事を読むとボールペンでぐるぐると塗りつぶしたような黒い靄は一段と濃く、複雑にかかる。それでも美しいのはきっと、汚い部分は隠れているからこそ恥じらいながら吐露できるものだと周知であるから。

ヴィーナスも二度見するほど...
あぁ...生きてるんだなぁ...

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