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夏を、する。

カシュッ。CMに採用されそうな気持ちのいい音を予想して、引っ掛けた指が急くように鳴らした音は、カキッ。泡が少量フライング。焦って唇を尖らせ迎えに行く。瞬く間の悲しみは苦味によって一瞬で上書きされる。

「おいっし...」

やっぱり今はCMの撮影中なのではなかろうか。流れる汗も嫌ではないし、むしろビールの美味しさを引き立てる脇役に昇格している。もっと喉を鳴らして、伝う汗を感じたい。美味しい、美味しい。喉が痺れる。

さっきまでの暑さにも感謝しなくては。帰路で浴びる灼熱は地獄を連想させるけれど、横を無やれば緑が広がっている。幸福がさらさら揺れているというのに、地獄なわけがない。

トンボは窓越しに眺めるくらいが丁度いい。青白いトンボの美しさは数日前に知ったけれど、あの羽はどうしても「触れるよ」が戻ってこない。カブトムシも怖くなってしまったのだから、どうやら大人らしいものになったらしい。

白い肌着から突起した胸の先端がやらしい。ブラジャーを身につければ隠れるのだけれど、私の生まれ持った身体には必要性のないものであるらしいから普段は姿を見せない。
なんちゃらジェンダー、なんちゃらセクシャルと形にしたがる世の習性が無ければ、いや、そもそも性別という概念さえ無ければ、多様性という形を成すこともなったろうに。そして私も、マイノリティなどとカタカナを並べずとも「私らしさ」を表現する上で性を気にせずともよかったのに。

話が逸れてしまった。いきなり語り出すのはよしなさいよ。読者の頭が行方を探して彷徨ってしまうじゃないの。私の文章の中を彷徨って、抜け出せなくなってしまったのなら、救いの手は差し伸べないけれどね。うふふ。あら、つい緩んでしまって、ごめんなさい。

けれども、そんな薄い肌着だって夏の道よね。そこらで見かけるティーシャツを着た男性の胸元だって、浮き出ていることがよくある。もはやお乳首も夏の季語でいいのではないかしら。

おビールはすでに半分を空にしてしまった。涼しい部屋と相まって気持ちのよい薄い眠気が瞼をくすぐりはじめている。トンボは変わらず、忙しなく青空を泳ぐ。

昨夜を、その前の夜も思い出してみよう。冷房をつけずとも過ごせる夜があった。寂しい温度は心地がよくて泣いてしまいそうになる。立秋という言葉も見た。

「まだ、待っていてくださいよ、秋さん。次は秋だ、次は秋だ、そう思って暑い暑いと言う日々が好きなのよ。涼しさが私を泣かすのはそのせい。意地悪はやめて、もう少し夏さんに譲ってあげて。まだ私が背中を向けていたいの。秋を追う冬はあまりにも遠くて耐えられない」

布団の上で女々しく唱える私はなんとも恥ずかしい。酔いしれるのは好きだけれど、人に見られては頬が紅葉してしまう。季節と話す人は美しいけれど、ひとりで秘めるように愉しむのよ。自分だけの花になるから。

寝起きにすぐ布団を剥がせて、眠たい目で容赦なく便座に座ってもお尻が跳ねることがない。私たちは冬の便座に何度座りなおしたことかしら。それがない嬉しさも噛み締めてはじめて、夏の朝の涼しさを思い切り吸い込んでいい。

蒸れた靴下で床を踏んだときの冷たさも、張り付いたシャツから解放され、空気に触れた肩の冷たさも、私が夏を食べる瞬間。子供の頃から変わらずあった冷たさ。

朝と昼を知らぬ間に夏で満たされ、夜になるとまた秋を想う。

九月はまだ暑いだろうか。
軽くなった缶を揺らして、眠気に従う。横になった身体は思い出したかのように疲労を抱き、だるい脚を曲げたり伸ばしたり。
眠ってしまえばすぐに夜が来る。片想いでもしているかのように、乙女らしく「秋...」とつぶやいて、照れ隠しは眠ったふり。誰も見ていないというのに。


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