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書きたい私と赤いリボンの卵。

私は何か一つのテーマに沿って書くのが苦手なのかもしれない。過去の文章を見返すことが多々あるけれど、評価の数字がそれを物語っているし、自分自身が客観的に見てもどこか胡散臭いような説明的な文章である気がして面白くない。

テーマに沿って狙った文章を書いたものは書き上げた当初は自己評価が高いのだが、ハートの数が明らかに少ないし、後から読み返すと「なんでこれがあんなに満足してたんやろ」と思う。だから逆にテーマを決めずに、その時あたまの中にある感情をただ綴っているだけの文章は思ったよりハートも多いし、あなたのそういうエッセイが好きと言ってくれる人も多い。

「なんか書きたいな」

と思った時にそのまま書きたいことを書けばよかったのに、上記のことが後から浮かんでしまったので書いたけれど、引きのない冒頭になってしまった。こういう前置きの説明が欲しくなってしまうのは意外と心配性ということの証拠なのかしら。
「あなたはまだ若いから説明を欲しがるでしょうけど」というとある映画の台詞を思い出した。私もまだまだ青くて若いピチピチの子ということにしておこう。

「なんか書きたいな」

から進んでいない気がしてます。ごめんなさい。


思い返せば電車に揺られながら書いてることが多かった。詩を書くことに没頭していた時期も仕事帰りの電車でよく感情を爆発させていた。心の中ではそれはもうとんでもないぐちゃぐちゃな感情が殴り合っていたけれど、揺れている顔は無表情で疲弊していたことだろう。黒い速乾性のシャツの下は汗が乾いたあとで、爽やかな青年の香りなど詩と共に白紙の上に吐き出されたに違いない。

仕事で電車を利用していたあの頃に比べれば電車の中で書くことは少なくなったけれど、私はあの時間が好きだったのだろうなと知った。今では休日に遠出をする時くらいしか乗らなくなってしまった。それでも電車に揺られていると何か書きたくなってしまうのは過去の経験が浸透しているからだった。

高校生の頃から本格的に詩を書き始めたけれど、もっと細い道を辿れば小学5年生にまで戻る。そこから辿って私の文章ルーツを書くほどの時間と気力は今この瞬間はないので、また別の記事で。


隣に座っている女の子はマスクをすると輪郭が隠れて丸く見える。もともと小さい頭で卵みたいに綺麗な丸型なので、目だけ出たまん丸卵なその子が可愛い。ポニーテールをしていると尚更。赤いリボンまで装飾して、黒猫とおしゃべりができるんじゃないかと思うほどそれが似合っているけれど、喋れないどころか飼っていない。スカートは黒いのに。

魔法使いではない卵でもない赤いリボンのその子は、実は逆光でシルエットしか見えなくても背景にいる大勢の中の誰かよりも黒猫と喋る姿がよく似合う。なんとあの有名な魔女よりも多くの動物と喋る姿が似合ってしまう。これはもはや私に隠しているだけで、実は魔法の一つくらいは使えるのではないか?いやきっと普段から頻繁に魔法を使ってるに違いない。何故なら黒猫や動物に限らず小麦粉や牡蠣とも喋れるのだから。もしかすると人間の姿は仮の姿で、本性は卵の妖精?魔法使いなんてカッコいい称号はなく、あの子の中では人間が感情を線で無限に表現できるのと同じくらい普通のことなのかもしれない。そうかそうか、これは失礼した、卵の妖精さん。

家に帰ってたくさんのぬいぐるみにお出迎えしてもらう。
「あれ...?ぬいぐるみに見えてたんも実は私だけか...?」

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