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「何者」でもないからこそ、できる選択

#あの選択をしたから

 まず、このお題の最初の関門として、これまでの人生からどの瞬間を選ぶのかから始まるように思う。いざ書き始めると、今からその時の選択肢を改めて振り返り、「あの時、こうしておけばよかった」と後悔の念に駆られることもある。選択するということは、何かを選択しなかったことになる。時には、「これしかない」と狭まっていく選択肢から選ぶ事もあるだろう。要するに、選択するという行為は、自分への責任感みたいなものが付きまとう。そして、「あの選択をしたから」に続きそうな文言は、「今の自分がある」だと思う。自分の場合、そう思えるような選択は、少ないかもしれない。そんな自分がこの企画に参加した動機は、「あの選択をしたから」に続くストーリーを書いてみたかったから。実は、まだ「note」始めたばかりで、自己紹介が十分にできてない。この企画に投稿する記事が、今の自分を知ってもらう機会になることを願う。

 母親から今も変わらず言われる言葉がある。「あなたは、何者でもない」耳にタコができるほど、聞いた。ほとんどの子供が考えたことのある「将来の夢」は、何者かになることを想像する。恐らく、母親の言葉の真意は、「今は、まだ何者でもないから、今どうするか考えなさい」だと思う。生憎、小さい時はそんな思考を持ち合わせていなかったし、何をどうすれば良いのか分からなかった。さらに、私の「将来の夢」はそこまではっきりとしたものでもなかった。

 私は、その人や職業より、その場所や舞台に憧れた。特に、日本を代表して世界の中にいることがかっこいいと思った。常に自分の部屋の中にあった地球儀と世界地図を相手に、どこにそのような場所があるのか、必死になって探していた。結局、それは見つからないまま、月日が経っていった。そして、また母親の言葉を思い出す。「あなたは、何者でもない」それに対して、「今何をするべきなのか」その答えをこの時には、既に知っていたように思う。それでも、私はその選択をしなかった。というよりできなかった。少し切ない言い方になるが、身の程を知らなかったからだと思う。

 身の程を知る経験が、大学受験だった。高校に在学中、友人が卒業後にアメリカの大学へ進学するというニュースを小耳に挟んだ。固い意思に基づく進路は、特別に輝いて見えた。それは、確かに将来に続くものになっている。きっと、彼は、アメリカの大学に進学した「あの選択をしたから」今の自分があると、自信を持って言えるだろう。私は、進路に迷っていた。学力という客観的なデータは言うまでもなく大事だが、それと同等の「自分のしたい事は何か」主観的な自己分析が足りていなかった。それを掛け合わせて、大学の学部や学科を選んでいけばよかったと思う。さらに学力に関して、少し楽観的な部分があり、「何とかなる」と思うタイミングが早かった。そう思ったとしても最後の最後まで足掻いてもがき続ける、必死になる事がなかった。結果的に、選択希望の大学には落第し、進学という選択は狭まっていった。それでも、進学を決めた。なぜなら、大学がゴールからスタートに変わった瞬間だったからである。アメリカに行った彼と大学受験で痛感した不甲斐ない自分を照らし合わせて、向き合う勇気を持つ。
また、大学へ入学する前に、自分の目的に合わせて、あらゆる手段(モノやサービス)を組み合わせることを意識していた。その「主導権を持つ利用者」は、何かを学ぶ上で大事な姿勢のように思った。

 4年前くらいから、「あなたは、何者でもない」母親の言葉が、励ましのように聞こえてきた。大学に在学中、私は「JICA青年海外協力隊」を志した。自分の将来の夢を想像しながら、手の届きそうなところから始めた。
 
 選択が連続する人生において、私が大事にしているのは、「あえて」という感覚だ。その部分に、自分の個性が詰まっていると思う。そして、協力隊への参加動機も、あえて環境を変えて、自分の挑戦を改めて、始めてみたかったから。その過程で、多くの人とその感覚を共有して、それぞれの個性に気づき、新たな挑戦が生まれるような「国際協力」にできればいいと思っている。

 そして今、岩手県遠野市で「JICA青年海外協力隊」の事前研修(グローカルプログラム)を受けている。早ければ、年明けすぐに日本を発ち、ケニアに向かう。協力隊として活動する2年間の任期が終われば、協力隊ではなくなる。何者かになった途端、そのものになってしまい、その後の自分を想像できない。そんな時は、また思い出せばいい。「あなたは何者でもない」この言葉がいつまでも、「あの選択をしたから」に続くストーリーをつくる。



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