見出し画像

わたしとキムチ

 寒さの極まった頃に出荷される白菜。あのどっしりと存在感あるひと玉を見ていると、いつからかキムチを漬けたくなるようになった。
 わたしは在日コリアン4世で、家族での会話は日本語だけれど食卓にはだいたいキムチが置かれているという環境で育った。祖母なんかはハングルも話せたり、これでもかというほど大きな寸胴鍋で焼肉のタレを仕込んだりもしていた。
 そんな実家から出て生活し始めると、それまで何の気なしに見たり嗅いだり食べたりしてきたものが自分の奥深くに染みついていたことに気づいた。一昨年からなぜか漬け始めたキムチ。両親も祖母も漬ける習慣はなく、曾祖母だけが漬けていたという。祖母はわたしが初めて漬けたキムチを食べて、曾祖母のキムチに似ていると言った。
 育ってきた環境、自分が選んできた道の総てが合わさって今、キムチを漬けている。選べないことや変えられないものも包みこんでいくと、それが味わいになるのかも、と思いながらこの冬も白菜キムチを漬けた。

●きむしずか

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?