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ずれ

なぜか

Mr.childrenの「HERO」が
聴きたくなった。

それがほんの数分前で、
今曲の中盤くらいを聴いている。

YoutubeのMVも、
この曲にはこれしかない、とは思わせてくれるわけじゃなくても、
思わせてはくれないからこそ、
(ビビットな「マッチング」ではないからこそ)
この曲の雰囲気を引き立ててくれている気がする。

表現における微妙なずれのようなものは、
良い味のワインに変わるのかもしれない。

音楽と映像だけでなく、
絵や漫画における

構想と実際の描写の間にも。
読者と表現者の見識の間にも。

些細なずれがある。
それに気づいている。
気づいている。

その「分からなさ」が
味わいに変わっている。

それは、そういうものは
いつまでも記憶の澱となって、
時々よみがえる。
水流に舞い上がるみたいにして。

食事の匂いで思い出す
その昔の食卓の会話なんかも
あったりして。

ふと生活の一場面で
それらはよみがえる。

あのとき分からなかった
隔たり、ずれ、
その隙間にあったものが

こんな夜に香となって
立ち上ったりもする。


29.5,31,Mizuki

絵を描くのは楽しいですが、 やる気になるのは難しいです。 書くことも。 あなたが読んで、見てくださることが 背中を押してくれています。 いつもありがとう。