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流されて、入れ替わって

こんにちは。

今日もお手紙差し上げます。

先週の水曜日は、仕事でした。
一週間の仕事は
水曜日で3/6終わるわけです。

この仕事を始めたばかりの頃は、
「まだ水曜日だ」と思うことがありました。
どうしてだか、最近はそういうことは
なくなってきました。

まだ水曜日だ、とも
もう水曜日だ、とも思わずに、
淡々と日がすぎていきます。

***

水曜日には
お弁当を買って
仕事現場に向かったのです。

鳥から(鶏の唐揚げ)弁当を買っていって、
久しぶりに鳥からを食べました。

食べるそのときはおいしいのです。

けれど
揚げ物を食べるといつも
食べた後で頭がぼんやりするのを忘れていました。
午後は、調子の良かった午前と打って変わって
ぼんやりした仕事をしていました。


おまけに、
夕方頃に、
昔の恥ずかしかった思い出やら

誰かの怒った顔やら言葉やら思い出したのは、
もしかしたら鳥から(鶏の唐揚げ)が発端だったかも。

消化に負荷のかかる食べ物って、
そういう感情を呼び起こしがちな気もします。

でも、
時には、恐いもの見たさで、
ええい、いいやと思って、
焼き肉を食べたてみたりもするのです。

そんな日に限って
気分の晴れるような夢を見たりもするので、
うちの分析も当てにならないもんだなあと、
確かめるのはいつも
そういうことなのですが。

***

頭の中がうずうず、
ぐつぐつしていたその日の夕方

仕事終わりの時間に、
海に入り浸ろうと
歩いて行ったのですが、
その日に限って水面は波立ち、
しかも珍しくゴミがけっこう浮いていました。

しょうがないので、
波打ち際に足下だけ浸して、
じっとしていました。


頭の中の澱みが
足元からスーッと
溶けて
波に流されていくようでした。

以前からたびたび感じていることですが、
澄んだ水、流れのある水に触れると、
自分のあらゆる滞った感情、体の「こり」などが
軒並み流されてゆくような気がします。

空っぽになっても、
そこにはまた感情がやってくる。
代わりになるものが
どこかからやって来る。

体の細胞は入れ替わるし
感情も流動的なもの。

思想や心情も、
体に入るあらゆるものは、
流動的であって、
とどめずに流すのが、
快い。

だから、流れる水のある場所が好き。

滞りなく流れて、川にさらされて洗濯される布。
そんな感じのする人が
周りにもいて。
そういう人と過ごす時間が、
今の私には
心地がよいのです。

******

「鳥から」はちょっと苦手。
すぐには体に溶け込まない感じ。

食べものや飲み物について、
人と過ごす時間について、

溶け込むようなものが好き。
流れていくような感じが好き。

物質や感情の通り道である体。
晒そう、入れ替えようとする体に
敬意を払おうと思う、この頃なのでした。

28.7.11,Mizuki

絵を描くのは楽しいですが、 やる気になるのは難しいです。 書くことも。 あなたが読んで、見てくださることが 背中を押してくれています。 いつもありがとう。