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聴覚のはなし

「もしもし下北沢」(吉本ばなな)を
亡くなった祖母の本棚に見つけ、読んだ。

17時から読みはじめて、
途中母が作ってくれたご飯を家族で食べ、
結局お風呂にも入らないまま25時まで読み続けた。
うちは、たまにこういうことがある。
半年に5冊も読まないから
本の虫というわけではないけれど
読むと夢中になる。

25時過ぎにお風呂に入った。
ぬるくなっていたので追い焚きをした。


お風呂上がりに母屋の玄関から外へ出ると
外は真っ暗だった。

久しぶりの「何も見えない」を体験した。
が、すぐに目は慣れてきた。
耳も、久しぶりに「何も聞こえない」を体験した。
心して聞いても、何も聞こえてこない。
が、やがて、かすかな音が聞こえてきた。

玄関を出ると急な上り斜面になっていて、
すぐ上のお隣さんの家に続いている。
玄関は東を向いていて、北側には下りの斜面がある。
降りた先には沢が流れている。
その向こうは杉の森がある。
そっちのほうから、笹が風にそよぐ音が聞こえてきた。
頬に感じるほどの風はさっきから吹いていないので、
笹はさっきからずっと、
そよ風に揺れていたのだろう

深夜の2時。

そのとき、聞こえるようになったその音を聞いて、
うちは思っていた。

本当は、すぐ目の前の斜面に生えている草も
この夜の中で呼吸をしているはずで、
そこからもかすかな音がしているのだろうと。
そして、ひる間に浴びた日の光の暖かさを蓄えて
熱を少しずつ発しながら
細かく震えているのだろうと。

もしもうちの耳が、
どんな小さな風にも細波で応じる水面のように、
いろんなこまかい震えさえも
音として受け取れるようであったなら。
しかも場面場面で、
その感度を鈍くも調節できたなら、
世界をより彩りゆたかに
感じることができるようになるのではないかと。

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頭の上の方に意識を集中すれば
「今、空のあの場所から、
こんな音がしている」とわかったり。
動いている雲の様子も、
まるですぐ近くにあるかのように
迫って感じられたり。

木の葉の上に積もる雪の音と
地面に積もる雪の音と
その違いがはっきり感じられたり

人の話す声の
予備や余剰の息づかいも
バリエーション豊かに聞こえたりして

人情の機微の感知まで
一段とこまやかになったり

するのかもしれない、
ふと思い立った聴覚の話。

本を一気読みした夜に。

26years old4.28 Mizuki











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