言い方と自助と見かけ
「汚染水」じゃなく「処理水」。輸出禁止した中国って悪いんでしょ。100年前に日本人が朝鮮人を虐殺した事実はない。
事実を注視せず、自分たちが都合のいいことしか見ず、行動しない日本人の集団心理を日々のニュースで痛いほど見る。表立って自分の意見を言わない(言いづらい)分、ネット空間での誹謗中傷、偏見が増しているように感じる。
自助と公助。上に頼らず自分たちでやってしまおう、やってみた。そして結果、公共を動かした。そうしたストーリーが美談とされがちだが、本来公共がすべき仕事まで成長のためといって必要以上にひきうけてしまう。労働者(あるいは組合員、平社員)に対して面談とかでよく管理職の上司から言われる「経営者の目線を持て」と言われ、挙句の果てには労働者の権利を忘れ、賃上げ要求を自分勝手だと否定するメンタルができてしまう。管理職相当のことさせるなら見合った金をくれ。となんで言わないんだろう。過去の私もそうすれば成長(=いい評価がもらえる)と思い込んでいた時期があった。先週の池袋西武・そごうストライキは本当に快挙だったし、組合員の方々に敬意を表したい。普通の会社員がいっぱしの経営者みたいな口を利き、物事を考え、自分のところに返ってくる賃金の上昇よりも株主への配当の多さを気にする。「エコノミックアニマル」とはよく言ったものだと、8年になってもいまだに「経営者目線」ができない私は横目でみている。(通俗)道徳とか、空気読むとか、そういったよく分からないことに従うだけでなく、意外と内面はリアリストなのかもしれない、と最近思うようになった。もちろんほめてない。すぐ先のことにしか目が向かず、100年1000年と自分が存在しない時間軸での未来に思いをやらないことを言っている。
「経営者」目線を持ってしまうと、しかるべき人に助けてもらうよう意見する、正しい判断を促すなどエスカレーションが下手になり、とどのつまりは特に性犯罪に顕著な、被害者に対して「被害に遭ったのが悪い」思考になる。誰もが経営者、誰かに働いてもらう(負担をさせる)側にまわると、手を動かす人たちの気持ちが分からなくなってしまうのは恐ろしいなあと感じた。
もう一回、当事者に戻り、そこに立ってものを見て、解決できなかったら仲間や責任ある人に訴える。そうした動きを広げていきたいと思っている。