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「モール温泉」の真実

先日、こんな記事をリリースしておられる方がいました。

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たまたま最も最近見かけたのがこの記事だったというだけで筆者の方に対しては何も感じていません(特定の個人の良し悪しをジャッジするのが目的ではありません)が、このタイトルには決定的な間違いがあり、その間違いが温泉に詳しくない一般の多くの方にも浸透してしまっています。メディアの方もよく間違える典型的な話で、業界あるあるかもしれませんね。

それは「世界的に珍しいモール泉」という文言です。

モール温泉とは

なぜそれが間違いかという前に。モール泉(「モール温泉」の方が正しいと思われるため、記事内ではそちらで統一します)とは何でしょうか。

北海道で温泉分析機関の老舗でもある北海道立衛生研究所(道衛研)の説明が詳しいのでここに貼っておきます。この記事を読めば基本的な内容を押さえられます。
モール温泉とはドイツ語の「moor」からきている言葉で、地中深くに閉じ込められた植物等を由来とする「腐植質」が含まれる温泉を指す「通称」です。
なぜ通称かといえば、温泉法による温泉の定義にも、鉱泉分析法指針による療養泉の定義にも腐植質はなく、モール温泉というのは正式な泉質名ではないからです。

しかしながら、北海道ではモール温泉が次の世代に引き継ぐべき「北海道遺産」の一つに認定されています。そのため腐植質が含まれると予想される場合は、(本来その義務はありませんが)温泉分析の際に腐植質の量を測定するのが基本となっているそうです。

モール温泉は珍しい温泉か

北海道内で最も大きくモール温泉をウリにしたのは十勝川温泉です。
十勝川温泉では「ドイツとここだけ、日本唯一の天然モール温泉」という謳い文句を使っていました。現在そういった文言は使われていませんが、こうした宣伝文句の流れを受けて「世界的に珍しい」というイメージができたのかもしれません。

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では、北海道内の他の地域にモール温泉はあるのでしょうか。
十勝地方でいえば、帯広市・音更町・(忠類を除く)幕別町・士幌町の温泉は、ほとんどがモール温泉です。また、道央地方では江別市・由仁町・当別町・北広島市・恵庭市・千歳市のエリア、飛んで白老町など。道東では鶴居村・標茶町・斜里町・別海町などがモール温泉です。

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例えば、斜里町のペンション「しれとこくらぶ」は香り高いモール温泉です。
雰囲気の良いカフェでいただくランチも美味しくてオススメ。

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私はしばらくの間、北海道の温泉全部に行くまでは道外に出ないと決めていたため道外の温泉の入湯数は非常に少ないのですが、道外に目を向けると、写真の温泉銭湯「改正湯」がある東京の蒲田をはじめ関東平野にある「黒湯」もモール温泉です(改正湯は温泉入浴指導員の講習会場で、その際に特別に撮影許可をいただきました)。また青森県の東北町周辺にもモール温泉が点在していました。

モール温泉と聞いてコーヒーのような色でアルカリ性の温泉を想像する方が大半だと思いますが、そうではない場合もあります。

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奥尻島の神威脇温泉はバリバリの塩化物温泉ですが、腐植質が3mg含まれる隠れモール温泉です。また函館市柏木町にある回転寿司「まるかつ水産」で食事の後に利用できたこの足湯の源泉にも、わずか0.1mgながら腐植質の記載がありました。
またニセコひらふ地区の温泉にも腐植質が入っているものがありました。
そう考えると、国内・道内どちらのエリアで考えても珍しいものではありません

十勝川温泉が現在の形に発展したのは雨宮氏が温泉宿を建てた昭和初期のことですが、長らく「北海道で一番腐植質が多い温泉」として知られていた千歳市の松原温泉の歴史はそれよりも古い明治時代から。

また温泉水に含まれる腐食質の量では、千歳市のサーム千歳ドミニオ源泉(新千歳空港温泉などで使用中)が道内では一番多くて約35mg。前述の東京の黒湯ではそれが250mg程も含まれており、透明度が全くない真っ黒いお湯を楽しむことができます。

ということで歴史の面でも、モール温泉の素とも言える腐食質の含有量からいっても、十勝のモール温泉が世界唯一/世界でも珍しいとは言いにくいのです。

また、道衛研の記事にもあったように、本来のモール浴は泥浴で、北海道のモール温泉とはモールという部分だけ共通するようなものです。
オレンジを丸ごと使って作られたママレードと、オレンジの果汁が数%だけ含まれるジュースほどに違います。

事実に基づいた正確な情報を

温泉は人気のコンテンツゆえさまざまなメディアが取り上げますが、この記事で取り上げた「モール温泉」のように、温泉に関して正確とは言えない説明をそのままそっくり使用してしまうパターンが多く見受けられます。
施設側の受け売りで使いがちな「日本で○か所しかない」「○種類の泉質がある」等の謳い文句も、きちんと記録を取り歴史を調べながら温泉巡りをしている方が見ると首を傾げてしまう事があります。

温泉施設で働く方(取材時に対応してくださる方)の温泉経験値や知識量が多いとは限らないため、自分の足でさまざまな温泉に赴き、分析書をきちんと読んで、伝聞ではなく分析書ベースで温泉情報を扱うことができるようになれば、そういった間違いは回避できます。その自信がつくまでは、温泉について深く突っ込まず個人の感想でとどめる・料理や設え、管理者の人間性など別の面をクローズアップする方が、掲載される施設側にとっても有難いでしょう。
温泉の資格を1つ2つ取得するくらいではその力は身につきません。温泉資格を取得する人は増えていますが、温泉を取り巻く状況はほとんど変わらず、間違った・正確ではない情報が溢れたままというのが現状です。温泉知識のごく一部しか学べない資格取得はゴールではありません。それをきっかけにして、温泉を立体的・多角的に捉えられるよう知識を深め、意味のある経験を積む必要があります。

個人ブログならまだしも仕事として温泉を語り紹介するのであればなおのこと、発信者側の責任として事実誤認を招きかねない書き方を極力避けたいところです。
ひとりひとりがこの点でレベルを底上げできれば、もっと北海道は温泉大国らしいPRができるようになるかもしれません。

とはいえ、こういった事実は温泉そのものの価値を下げるものではありません。
モール温泉でいえば、非常に心地よい香りの十勝川温泉も、新鮮さで際立つ帯広市内の温泉銭湯の温泉も、他の地域のどの温泉も、2つとして同じものがない貴重な地球の恵みです。道内外の方に心ゆくまで楽しんでいただきたいです。

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記事の冒頭で巻き込んでしまったアサヒ湯さんの名誉のために付け加えますと、私も十勝管内でおすすめする温泉の1軒にいつも加えています。大きなお風呂ではありませんが、だからこそ贅沢な温泉の使い方ができる。湯船から盛大に溢れるお湯の量と、お湯の新鮮さが素晴らしい。前オーナーからここを引き継いで営業を続けておられる現在の経営者の方を応援しています。

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