三霊泉五名泉投票・終盤戦S5.6.27

昭和5年6月27日の新聞より

三霊泉五名泉投票

洞爺湖首位を占む

締切り七月四日を前に戦烈し

本社主催温泉投票の締切り近づくとともに花々しく武者振り立った洞爺湖はこの日も燃ゆる意気物凄く1万6千の精鋭をすぐってカルルス、昆布、子宝の大物を向うに廻し血煙立てての奪戦ぶりは実に目ざましき限りであった之がために前記三強豪は惜くも枕をならべて次位に下るの余儀なきに至ったがまたまたここに久しくめぐまれず黙々と地盤堅めにつとめていた銭亀沢の根崎温泉は一挙に2万票を投じて九位に躍進したが忽然として現はれたこの若武者はいかなる雄図を懐いて肉弾飛ぶ戦場にのぞまんとするか因に二十六日正午までの成績左の如し

 1位(↑3 +16067)76791 洞爺  洞爺湖温泉
 2位(↓1 +3029)  68159 登別  子宝湯
 3位(→0 +5218)   67371 幌別  カルルス温泉
 4位(↓2 +1329)   65539 南尻別 昆布温泉
 5位(→0 +1975)   51460 軽川  光風館
 6位(↑1 +4858)  50496 豊富  豊富温泉
 7位(↓1 +2575)  48826 音更  雨宮温泉
 8位(→0 +0)   34287 鹿部  鹿部温泉
 9位(↑7 +19672)31870 銭亀沢 根崎温泉
10位(↓1 +716)  30550 鴛泊  利尻冷鉱泉
11位(↓1 +0)  23996 留寿都 及川温泉
12位(↓1 +0)  19139 歌棄  歌棄温泉
13位(↓1 +42)  18560 留辺蘂 温根湯
14位(↓1 +790)   18457 岩内  堀株温泉
15位(↓1 +1195) 17926 小樽  山屋温泉
16位(↓1 +0)    15881 舌辛  雄阿寒温泉
17位(↑1 +180)    9791 幾春別 神仙閣
18位(↓1 +0)     9643 上富良野吹上温泉
19位(→0 +499)   8663 士別  瀧不動霊泉
20位(→0 +0)     6639     弟子屈温泉
21位(↑2 +598)   5544 和寒  塩狩温泉
22位(↓1 +111)  5401 蘭越  新見温泉
23位(↓1 +24)  5120 倶知安 二世古温泉
24位(→0 +570)   5044 寿都  湯別温泉
25位(→0 +420)   4219 上士幌 糠平温泉
26位(→0 +0)    3485 落部  銀婚湯
27位(→0 +97)  3471 椴法華 恵山温泉
28位(→0 +33)  3270 支笏湖 大川原温泉
29位(→0 +210)   3150 野付牛 若松冷泉
30位(↑1 +951)   2596 富良野 松壽園
31位(↓1 +0)    2356 上湧別 富美温泉
(以下省略)

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残り10日を切って票の増え方がえげつなくなってきましたが…この投票が始まった時に「このランキングをかき回す存在」と書いていた根崎温泉がやっと、やっとかき回し始めました。途中から全然票が動かずどんどん順位が下がり私も不安になっていましたが、面白くなってきましたね。
洞爺湖温泉も初登場は少し遅めでしたが、トップ争いをするまでに。
最後の追い込みが楽しみになってきました!

今日の小ネタは、少し前にもちらっと書いた上湧別の富美温泉です。
調べても写真は見つけることができませんでしたが、上湧別町史には以下のように書かれています。

大正12年 2月10日町内富美、支流の沢奥で北見市皆川造材部が、造材中、人夫2人が温泉地を発見、道庁に発掘願い提出す。発掘願いが許可されたので、水野直次郎が井戸を掘る。
昭和4年 水野直次郎この地に温泉場建設(木造二階建) 昭和8年頃まで、わかし湯(コンクリート製湯つぼ)で温泉(水野温泉と呼ばれた)を経営した。温泉宿暴風で倒壊した
昭和24年 水野直次郎再度木造二階建の温泉場を建てたが、地域住民の入浴程度で商売にならなかった
昭和35年 水野直次郎富美市街の自宅で亡くなり温泉場閉鎖となる

その後昭和48年から50年にかけて、富美温泉があった場所に町が温泉ボーリングを行い調査を実施していますが、湯量不足が原因で温泉開発を断念しています。

そんな運命を辿った富美温泉ですが、昭和5年の「上湧別村概況」には、期待がこもったこのような紹介文が掲載されていました。
「水野直次郎氏の経営に係り別に景勝地にはあらざるも、富美手ぬぐい山の裏手にあり神経衰弱、神経痛、慢性胃腸カタル、慢性子宮病諸病に卓効あり
また飲用にも適応し諸病に特効あり療養旅宿するもの絶えず 昨年殖民道路の開さくを見るに至り之が為に一の療養所として一層繁栄を極むるならん」
(道路が開通したのは昭和4年で、道路沿いに桜が数十本植えられた)

画像1

同じ文献の町内地図にその場所が記載されていました。
昭和10年版の地図には薄〜い色で温泉マークがついていましたが、その時には営業していなかったのでそれも納得。
こうやって、かつてあった宿でも歴史を追えるのは面白いですね。

※この投票は90年前に終了しています!

温泉経営者だった経験を生かし、北海道の温泉をさらに盛り上げる活動をしていきたいと思っています。サポートしていただけたら嬉しいです!