温泉アンバサダー 浜脇~別府街歩きコース
別府八湯アンバサダー「地獄ハイキング浜脇~別府コース」ガイドブック
ハイキングの見所と目的
JR東別府駅をスタートし、浜脇温泉と別府温泉の各ポイントを巡ります。
浜脇温泉は別府八湯発祥の地といわれ、1400年以上の歴史を誇ります。松原公園は浜脇温泉と別府温泉の中間点に位置し、歓楽地の中心として劇場・映画館・飲食店・土産物屋などが密集していました。
別府温泉は別府港築港により、関西方面から数多くの観光客が訪れ、一大温泉地に発展しました。
今回は両温泉地の交通の起点、東別府駅から別府駅までを歩きます。
A:スタート ①東別府駅
東別府駅は1911(明治44)年、豊州鉄道の浜脇停車場として開業し、1934(昭和9)年に東別府駅に改称されました。
この頃の浜脇温泉は湯量が減少し、かつての賑わいは無くなっていたようです。そのため趣ある木造駅舎が残され、市指定登録有形文化財になっています。
近年では、新垣結衣・三浦春馬主演の映画「恋空」のロケ地になった事で話題になりました。
②丸井戸
市営浜脇温泉に向かう途中の住宅街の一角に「丸井戸」があります。井戸を見守るお大師様に弘化4(1847)年と刻まれており、古くから地域住民に利用されてきた井戸です。
中を覗いてみると、地下4~5mほどの深さの所に水面があり、この辺りが海抜3.4mなので、ほぼ海面と同じ高さで真水が湧き出していることになります。
③市営浜脇温泉、湯都ぴあ浜脇
浜脇温泉前の広場の入口近くの石造りのアーチは、建て替え前の浜脇温泉の玄関で、床のタイルで当時の浴槽の位置や大きさが偲べるようになっています。
ちなみに浜脇高等温泉は観光客向けであったため ぬるめの湯で、浜脇温泉は地元民向けに熱めになっていたそうです。
広場の薬師堂には薬師如来が祀られていますが、現地案内板には、「ご本尊薬師如来像(高さ15㎝)は、近年の調査で平安時代の豊国法師の作ということが判明、別府市で最も古い仏像の一つとされています。」とありました。
④朝見川河口、浜脇中学校
朝見川の河口付近にやってきました。満潮の時間帯で水位が高い状態でした。この辺りでは干満差が2~3mあり、もし津波が押し寄せた際、干潮時と満潮時でその影響に大きな差がある事を改めて学びましょう。
日豊本線の線路の向こうに浜脇中学校があり、中世にはここに「大友館」が置かれていたと言われています。 20代義鑑の後継者を巡っての内紛の、いわゆる「二階崩れの乱」の折に、21代義鎮(宗麟)はここ大友館で湯治をしていたと伝えられています。
⑤松原公園
松原公園は浜脇温泉と別府温泉の中間地点に位置します。戦前までは「西の浅草」とも呼ばれ、劇場や映画館、妓楼が立ち並ぶ歓楽地の中心でした。
公園に面して別府つげ工芸のギャラリーがあります。別府つげ工芸は大正8年創業で、受け継がれた高い技術力で
つげ櫛やかんざしを作ってきましたが、時の流れに合わせ現代の方の髪に合わせたつげブラシを製作しています。
また、別府冷麺の名店「六盛」もここで暖簾を掲げています。
⑥永石温泉
「永石」の名の由来は、『弘法大師が西国巡錫の際に、日照り続きのこの地を訪れ、一杯の水を所望したところ、老婆が水を恵んでくれた。その老婆に感謝し、空に投石をすると、落ちた場所より湯水が湧き出したことから「投石(なげいし)の湯」とよばれ、後に「永石の湯」となった。(「別府ふるさとガイド」より)』と伝わっています。
現在の建物は1991年に建て替えられ、赤い鉄板張りの屋根が印象的です。日田や玖珠地方に特有の「鍵屋」と呼ばれる建物で、入母屋造りの平屋ですが、浴槽が半地下にあるので階高が高く、お寺の本堂のような風格があります。
⑦伊能忠敬測量碑
流川4丁目の交差点に「伊能忠敬測量史跡」の記念碑が建っています。伊能忠敬は1810(文化7)年2月に来別し、ここにあった高札場に江戸日本橋より263里(1052km)という測量標を設置しました。
伊能の九州測量は文化7年(1810年)正月に、 豊前小倉から始まり、小倉から海岸線を南下し、2/12に大分、2/28に鳩浦(現・津久見市)につきました。鳩浦では3/1に起こる日食を観測しましたが、天候が悪く失敗したようです。
⑧竹瓦温泉
竹瓦温泉は1878(明治12)年に創設された別府温泉を象徴する市営温泉です。
現在の建物は1938(昭和13)年に建設されたもので、文化遺産オンラインHPによれば、「中央は入母屋造の2階建で,1階が休憩所や脱衣所,2階が床・棚付の畳敷大広間になる。浴室は東側に突出する平屋建で,西側の寄棟造の平屋建は砂風呂になる。変化に富んだ外観や正面の唐破風玄関など,重厚かつ豪華なつくりで,温泉街の象徴的な存在である。」と説明されています。
⑨波止場神社
竹瓦温泉の裏手に波止場神社があります。1878(明治3)年、初代日田県知事の松方正義により別府港が築かれ、波止場の鎮守としてこの神社がお祀りされました。
「神様、仏様、稲尾様」と言われた西鉄ライオンズの稲尾和久投手は、神社のすぐ横の路地で生まれ、漁師だった父親を助けて舟を漕いだり、神社の境内でキャッチボールをしたりして、幼年期を過ごしました。
江戸時代までは海岸近くの低湿地帯では、畳表の原料の七島藺やショウガが栽培されていました。砂浜は別府湾でとれるイリコと七島藺を干す筵が一面に並んでいました。
⑩海門寺、海門寺温泉
禅寺の海門寺は、建長3(1251)年の創建で、もとは別府湾に浮かぶ久光島に在りました。文禄5(1596)年の慶長豊後地震により久光島が沈んだため廃絶しましたが、元禄年間にこの地に再興されたと伝えられています。
海門寺の境内に海門寺公園が作られ、その一角に市営海門寺温泉があります。昭和11年に市営温泉となった海門寺温泉は、平成22年2月にリニューアルオープンしました。現在は、「温度の異なる「あつ湯」と「ぬる湯」の2種類の浴槽の設置により、熱い温泉に慣れていない観光客の方も入浴しやすく、別府温泉の魅力を身近に感じていただける施設になっています。(別府市HPより)」
⑪駅前高等温泉
別府駅前通りに建つ木造の柱、梁を外部に表した北方ヨーロッパの建築様式のハーフチェンバー様式の建物で、大正13年に造られた別府に現存する数少ない洋風建築です。
古い記録では、泉質の異なる硫黄泉の高等湯と、炭酸泉の並湯とされていますが、現在はあつ湯が弱アルカリ単純泉、ぬる湯が中性単純泉となっています。
B:ゴール ⑫別府駅東口
別府駅は明治44(1911)年、豊州本線の別府停車場として開業しました。
小倉-行橋間は明治28(1895)年に開業、行橋-柳ヶ浦間は明治30(1897)年の開業ですから、柳ヶ浦-別府(大分)間の開業には実に14年を要しました。
この開業により、現在の北九州市や筑豊方面から、多くの観光客を運ぶことになりました。
現在の日豊本線は、小倉駅-鹿児島駅間の462.6kmで、全線が電化されていますが、立石駅-中山香駅、杵築-日出駅、大分駅以南が単線区間となります。
*本事業はR5「別府市市民活動支援補助金」の助成を受けています。